サバンナで気ままに生きるシマウマのように

サバンナで気ままに生きるシマウマのように

2009年3月27日金曜日

FIeld+ 創刊記念 発表会

Field+ 創刊を記念して、まずは執筆者による報告会を行ないました。原稿にはかけなかった、裏話、フィールド情報の補足。いま関心があることなど、自由に自由に。

一冊も、ちゃんと読めばそれなりのボリュームがあると思うけれど、書いた人たちが次々と実際にプレゼンしてくれるのだから、かなり贅沢な企画。
まさに、世界を旅するような心地。
PNG、ケニア、エチオピア、タイ、インド、イラン、北米・・・

これはぜひぜひ続けなければ!

FIeld+ 創刊記念パーティ

Field+ 創刊記念パーティを、所内のAA会と共催でやりました!

発表会につづく、懇親会は吉祥寺のラオス料理やで。

言語学者で幹事だったSさんによると、この店では現地にかなり近い味が楽しめると。からーいものも多かったが、もち米とのハーモニーもすてきだった。

所員にも、Field+の執筆者を紹介。
たぶん、ちゃんと見てない人もいるかもしれないので
コーナーのコンセプトも説明。
まあ、これも徐々にどんな雑誌か、出すことによって存在感をましていくものでしょう。

いやあ、楽しい会でした!
執筆者のみなさま、ほんとうにありがとう。
編集長のHさんも充実感があったみたいで、それもうれし。
ぜひぜひ、執筆者同士をつなげる、そこに所員もくわわるという機会を今後もつづけたい!
また、こんごともよろしく!!

追いコン@都立大


熱海で行なわれた追いコンに行ってきました。
海がすぐそこの宿でした。
私が在学中にかわいいなあと思っていた後輩たち4人が追い出されるというのだから、びっくり。そして、W先生。
都立の全盛期を支えた先生だ。
びっくりしたことに、参加者ひとりひとりに、先生からのお言葉を記された色紙がプレゼントされた。私にも!

熱海の海も、まあまあいいです。

これって、かなりのラブコール?
お応えできるようにがんばらなくっちゃ。

2009年3月23日月曜日

帰路 from 生態人類

なんてすてきな車窓でしょう。おそらく梨の花が白く咲いてかわいらしい。桜もところどころ咲いている。春だ春!

特産のワインも少々味見。なかなかの美味。

学会発表きいて、楽しい人たちとお話し、自分のプロジェクトの宣伝もし、温泉にもちゃんと浸かって、とゆっくりでいい時間だった。

生態人類学会@温泉


ちょっとひさしぶりで生態人類。去年はアフリカからの帰国日だったが行く予定にしており・・・でもけっきょくいかなかった。いない間になぜか役をつけられていてびっくり。
今年から初めてポスターセッションがくわわった。口頭発表は10分、続きはポスターで、というスタイル。うーん、私は聞くのも、見るのも、この形式はあまり好きではないな・・・理系はなれっこでしょうか。
発表も、お部屋トークも、夕飯トークも、懇親会トークも、なかなか楽しいひとときでした。

2009年3月22日日曜日

連休

世の中は連休で、そうそう、春分の日。

ルオ人のお友だちからずっと会おう会おうといわれていたので、会うことに。なんと、私のために料理してくれた!
ウガリをつくるためのトウモロコシの粉、これは日本ではたいてい「イエローメイズ」しか手に入らないので、さらさらした粉。ルオランドでは白いしっかりと実がついたトウモロコシが好まれる。
そして、牛レバーのかたまりを買っておいてくれたので、ちょっとカレー味にしたケニア風レバーソテー、キャベツとたまねぎの炒め物、ウガリ、そしてウガリ、とつくって食べたのでした。
いやあ、ルオの男子にごはんをつくってもらうなんて初めての光景で。かなり感動もの。

20日はなぜ祝日なのかという質問にも四苦八苦おこたえしたのでした。

2009年3月21日土曜日

フィールドワークにかんするシンポ@早稲田


20日、春分の日。春です、春。私の誕生日もあと一週間。。
休日ですが、やっぱり研究室に行かざるを得ず、休日出勤。
その貴重な時間に、「くらしと制度をつなぐ会」の編集作業、質問まで電話にメール・・
ぎりぎりに走って早稲田にむかう。ここのところご無沙汰していた早稲田だが、学会のお知らせで届いたシンポの内容が面白そうだったので出かけることに決めていた。

「エスノグラフィーの素朴から方法論への革新へ―フィールド研究の深化をめざして―」

余語さんが問題提起。質的データ研究のながれ、そのなかでの人類学のフィールドワーク、エスノグラフィーの位置、といった内容。ウェブ時代の人類学の新しい方法として「ヴァーチャル・エスノグラフィ」といっている人。霊長類学の観察、分析、記述の方法、そして最後は社会学のネットワーク論の視点からの家族親族研究の方法、、 私のいまの関心事、ウェブ時代、家族・親族、ネットワーク、人類学、フィールドワーク、というキーワードに響くところはたくさんあり、勉強になった。ただ、デジタル技術の発達によるデータ収集の方法としてウェブの活用を考えるのはいいけれど、必要だけれど、どうもそれだけに偏りがちなのか?と思ってしまったり・・・あくまでも、切り口、着眼点の一つにすぎないのだということを前提に「フィールドワーク」して人間と人間の接触、ぶつかりあいを見聞き、ときに自分もそのなかに居る状態でないとなにも分からない・・・また社会学の場合は文化の違いを考えずに質問を考えているので、社会ごとの文脈、という点においての配慮が少ない!と思った。かなり、そのへんが単純な印象。。。

知り合いに、Fieldnetのチラシをわたす。
http://www.waseda.jp/assoc-wsca/meeting_sympo.html

2009年3月19日木曜日

Sakamoto's Concert

いやあ、まいりました。まだずっとSakamotoのピアノがアタマのなかをまわってます。待ちに待ったSakamotoのコンサート、ひさしぶりでした!東京フォーラムもひさしぶり。
舞台は二台のピアノで、一方は自動ピアノ。いつもの映像をうつしだすスクリーン。シンプルな光。CO2の排出、環境を考えたコンサート設計。
しかも始まりは水の音。北極の氷がわれる音。気のせいか、すてきな微風もふいてきて(かなりな前列だったのだ!!!)もううっとりする音の空間になっていった。そして真っ暗な中登場したSakamotoさんはピアノの弦で水音にあわせて即興。
むかし、神奈川県民ホールで高橋悠治とやった現代音楽のセッションを思い出させた。

1919のときは、なんと撮影がいい!とのことで、みんなカシャカシャ携帯でとってた・・・で、私も。いがいとよく撮れてるかも。

グリーランドの音、人々の声、Sakamotoの奏でる音。。。

あー、どれもこれも心が洗われました、ありがとう!!

2009年3月18日水曜日

名古屋でのワークショップ


「くらしと制度をつなぐ会」の冊子編集の手伝いをしたあとに入っていた予定は、名古屋出張。
同僚のKさんにまえから誘われておりました。
フィールドワークについてのシンポをやるから、Fieldnetをひろめるのにいいんじゃない?と。
日本福祉大学が「アジア福祉社会開発研究センター」を開設するにあたってシンポジウムとワークショップをひらきました。ワークショップの企画はKさんがご友人とたてた模様。「フィールドワークから人々とつながる:現場から生まれるアクションとファシリテーション」
もちろん場所がら、開発と福祉にかんする研究が主。
主催者(協力者)の意図:
 対象の社会や人びとの「変化を支える」目的で行われる福祉や開発の実践と、「理解する」ことをねらいとする研究は、それぞれ異なった視点と方法で現場に関わろうとする。しかし、それらは互いに異質なこととも言えず、多くの共通点が見られるだろうし、現場でのさまざまなアクションやリアクションを通じて、実践と研究に二分できない活動や立場が生まれることもある。 このワークショップでは「フィールドワーク」を共通の切り口としながら、「実践/研究」「調査する側/される側」の二分法をこえた現場での関わり方を、具体的な事例にもとづいて考える。福祉や開発の専門性から「あえて降りてみる」ことで現場から見えてくることを重視しながら、ふたたび専門領域にフィードバックできることは何かについても議論したい。
私自身の研究環境、関心からすると、やはりアフリカの事例がいちばん想像しやすかった。
発表者によっては、研究者なのかアクティヴィストなのか、そう悩まなくとも両方でありえるのならばそれでいいのでは、と思ったりも。というか、そういう人材こそが必要なのである。そういう意味でも、自分がフィールドで、そのはざまで「悩んでいるのだ」と告白すること、そういう場であったこのシンポは、とても有意義なんだと思う。悩みのレベルや質も、フィールドのもつ性質によっても個人の性格によっても、もちろん違うわけだが、その多様な「悩み」こそが個人のフィールドワークという行為が社会、世界とむすびつく事例であり、よりよくその悩みが生かされるように事例を共有することが必要かなと。いやでも開発に関わらざるをないご時勢のいま、研究者それぞれの事例がまた、重要な「先行研究」もしくは「先行経験/事例」だろう。
 まあ、個々のご発表については、それぞれ質問も疑問もあったけれど、シンポの企画は成功していたと思う。ただ、最後までいられなかったのが残念。どういう議論になったのか。。
おつかれさま!

2009年3月17日火曜日

つられまして。

母のたちあげたグループ「くらしと制度をつなぐ会」が、昨年に政治ジャーナリストをむかえて行なった講演会と、日本・世界における女性政策のうごきとグループのあゆみの年表をまとめ、冊子をつくろうとしています。ほとんどできているのだけれど、細かいところをチェックする役割が私。。。このあいだ、自分のが終わったばかりなんですが。それをまっていたかのように、美味しいものを食べる約束で?つられて、のこのこきて、こんなすてきなお料理をいただくまえに作業しました。ときどき、国民投票についての本をちらちらみながら。
しかし、母が地域でグループを立ち上げたとき、私はまだ小学生だった・・・こういうとき、時間がたつのは早いっと思う。グループの人たちも、私の変化もみまもってくださっている、ということでしょう。
お役にたつなら、お手伝いいたします^^;
それにしても、ずいぶん続いているものです。まじめなおばちゃんたち。

読者の方への政治への理解のチャート図をつくったのも私だぞー。

まあ、間接的ながらの私の「運動」への貢献。。
母も、「運動」のやりかたを、模索しつつ変えているらしい。しばらくお互い忙しくてあまりちゃんと話していなかったけれど、この作業をする理由で会って話していたら、なんとべ平連のときになにか運動をしていた人、ということで取材をうけたとか。母のお誕生日の前の日にオンエア決定!本人は照れくさそう。

2009年3月16日月曜日

3月14日は・・・(3)


そうそう、ホワイトデーだったのでした。
いつもバレンタインにはチョコをさしあげている先生に、今回はご体調が悪いのでお花を贈っておいたのだけれど、奥さまがなんともすてきなお菓子をくださった。すてきなミニタオルも。
しかも、先生の最新の抜き刷りも。
ひさしぶりに、うれしい贈り物だった。
でも先生、はやくなおってほしい。。

3月14日は・・・(2)

卒業した小学校が、あと2週間たらずでなくなります。
小学校は、こんど駅前にある日本映画学校(今村昌平創立)が大学としてお引越ししてくるとか。校庭は撮影のセットにでもなるのかしら・・・
いずれにしても、まったくなくならないにしても、小学校はなくなるのでちょっとさみしい感じです。なんと25年ぶりの同窓会が開かれました。私は豚の丸焼きパーティからはしごして参加。
ほーんとに笑えるけれど、小学校のこの「素質」そのまま、職業などにあらわれている・・・・容姿も、まったくもって変化なし。しかし、女子で仕事をもっている人が、私ともう一人だけだったことには、びっくり。
これが日本の現状なの??
中身は変化してることを祈る・・・・




3月14日は・・・(1)


私のシングル研のメンバーのひとりが、脱シングルとなりましたー。
まえまえから、3月の「卒業」のときには、豚のまるやきをすることが夢だったようで、実現してご本人は「感無量」と。
沖縄からとどいた豚さんの丸焼き、そして夫君の手作りラフテーに島ラッキョウのピクルス、そのほかお友だちによるサラダやケーキがもちよられて、すてきな結婚披露・豚の丸焼きパーティでした☆
あらためて、おめでとう!

2009年3月11日水曜日

ふつうのじゃないぞ


敬愛する同僚から、ふつうのでない、温泉まんじゅうをいただいた。週末におでかけだったらしい。
かわいいお子さんらのはしゃぎようが、写真のひとコマからみえて、おまんじゅうをいただくときもうれしかった。もちろん、この温泉まんじゅう、ふつうの餡子だけのとはちがう。ごろっと栗がはいってる。ありがとーっておもわず。ただ買うのとちがって、あの人にいただいた、買ったときの風景なんかも子どもたちの様子も浮かんで、美味しさ倍増。母は二ついっぺんに食べちゃいました。かなりめずらしいこと。
同僚さんはこのごろブログの投稿を活発だし、すっごくいろんなことにエキサイトしてて、すごいパワー!
新学期にむけ、すでに怖気づいてる私は、ちょっとパワーをほしいくらい。

2009年3月10日火曜日

Hokkaido ホッキー君と二風谷

足をのばした北海道ステイの最後。
会合もおわって、翌日は日曜だったので有意義にすごしました。後輩のKくんの運転で、Sくんも途中までいっしょに苫小牧~二風谷へ。
Kくんがレンタカーの手配をしてくれて、朝は急いで出発。
急いで、というのも連日の「疲れ」から前の晩が午前3時の帰還だったので、朝はきつかったから。
あいかわらずハスキーな声で出発。
苫小牧は、けっこう・・・名前で有名なわりにひっそりした町だった。でもでも、ちゃんと観光案内があった!やさしいおねえさんが親切に教えてくれる。ホッキが有名であることを知った。Sくんの飛行機の時間もあるので、それまでにお腹になにか入れなくちゃ!ということでまず市場に行ってみた。ほっきー君がむかえてくれる、なんだろう、ミュージアム?!といえるのか何だかわからないホッキ貝を紹介する空間があった(ちょっと痛い)。そこに隣接した食堂。大きなカニ、エイ、蛸、いやあ、すごい。ホッキ貝がこんなに大きなものとも知らなかった。
そのまま焼いてくれるところをみつけて、3人で堪能。スープがうまい。
そんなこんなで、めざしていたちっちゃな湖にはたどり着けず、S君を空港までお送りして、いざ二風谷へ。
途中の風景は、馬の牧場もあってたいへん気に入った。馬がのびのびかけまわっている。ああ、日本にもこういう光景があるのだ。子馬もちらほらみかけた。


めざしていた資料館は残念ながらしまっていたが、野外展示のアイヌの家をみる。雪深く、萱などでつくった壁の「寒さ」が想像される。
そして、最近できた二風谷ミュージアムへ。
これは、なんとも新しい感覚の展示で、建物も、展示の仕方も、リーフレット等もすてきだった。ビデオもあって、好きなものが見られる。それを見るとなおさら、展示物が生きてみえる。初めての者にもアイヌについて概要がわかるように、工夫はされていたと思う・・・ただ人類学者としては、「いま」「アイヌの人たちが」実際のコミュニティをどう生きているのか、を知るすべがちょっとでもほしいなあと思うのだった。
ミュージアムが二風谷ダムの湖畔にある。凍った水の上に、またうっすらと雪が。
よくみると動物の足跡がある。
誰もいない。
夕方にちかい、静かな幻想的な1シーンだった。
近くのアイヌ工芸展により、作者と話す。
昔の部落の写真があり、いまはどのあたりかを大体聞いて、帰りはそのあたりを通る。
なんとなく名残がわかるもの。
いま、人びとは何を生業としているのか・・・?
静かな二風谷への旅だった。

Hokkaido 会合もオフ会も

会合の合間には低温研ツアー。

またまた、低温室にもはいりました。-50度。

私は、極地研でなれていたので、思ったほどタイヘン!とは思わなかったけど。夏に入ると、ちがうのかも。
会合に研究会にこなして、またまた発表者やセンタ長もむかえて酒宴。こんどは北海道の海の幸。 いいお店をセレクトしてくれた北大のMさんに感謝。

宴は、またまた二次会までつづき、午前2時から、来年度のFieldnetは・・・目標は・・・と話題になって、ようしゃべったし、考えました。東京では味わえないおいしい食事と、内容つまった飲み会でした。ホテルに帰ったのは3時。
帰るころは歩道もつるつるに凍ってる。さっすが札幌。

会合のことは、また別のブログで報告しなくては・・・・・・・・・・・

Hokkaido 本番二日目

着いた日は北海道人もめずらしい、といった雨風。二日目は札幌らしく吹雪。
ホテルから低温研まで、みんなで歩く。
雪はふかく、視界の半分が雪。
ふぶく中の45分ウォークは、でもなかなか気持ちよかった。
途中にお決まりのクラークさんにも挨拶し、合格発表の場に居合わせて、ラグビー部が合格者を胴上げするのを見物しながら、やっとこさ会場にたどりついた。
やっとこさ、低温研につく!!
前日、すっかりもりあがり午前様だったにも関わらず、ちゃんと10時半から会合は始まった!!
私の声は、すっかりハスキーになっていた・・・



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充実した週末in Hokkaido 1


出張で北海道に行きました。私がこのごろ、熱をいれているfieldnetプロジェクト。立ち上げてから、初年度のまとめの会合in Hokkaido.半分冗談でみんなで言っていた遠出会合が実現!
まず、はじまりはビール園から。はじめから会話ははずむ!これまた、うまいなあ。ジンギスカン。ぜんぜんくせがなくって、やわらくておいしい!まわりも楽しそうに食べてます。声をはりあげないと、あっち側と話すのもたいへん。話したりず、こんどは北大正門前のちっちゃい飲み屋へくりだす。
会合の前日から、スイッチはいりました~

2009年3月6日金曜日

かわいいお客

今日はJ-Waveの特別企画でSakamotoのDJのラジオを聞きつつ出勤、そのあとは2時から9時まで会議~打ち合わせ三昧の日だった。
それでも、心が癒されたのはSakamotoのトークと職場にきたかわいいお客さん。
Taro(これってそうですよね)さんは、そのお客さんの忘れ物。
会議に行く前、かわいい声がするのでご挨拶。そのあと、階が違うところで会議をしていたのに部屋の外で「きゃははは~」と楽しげな声がもれてくる。同席していた先輩同僚は「うちでもああいう声がいつもしてるの」だって。そうそう、同僚も同じ歳くらいの男の子がいるんだった。会議が終わって6時半ごろ解散、先に帰ったはずの同僚がふたたび戻ってきました。
「道」にTaroさんが落ちていたと。まちがいなく、あのかわいい声の持ち主のものだろうと推測。しばらく、私の部屋にお泊りさせてくださいね。
明日からは北大出張だ~。

2009年3月4日水曜日

索引がきた


「宅急便がきてますよ」
と事務のおねえさんに言われてメールボックスに行ったら、ぱんぱんに宅急便メールの封筒に、一冊文のゲラが。
いま日本にいる共編者は私ひとりなのかな。。
けっきょく、総数341ページ。かなりの量になりました。
あー、これを確認しなくては。。
このごろはPCが検索機能でぱぱぱーとやるので、やたらとヒットして、結果的にとりあげるページ数が多い。
そして項目については、
私自身の本の索引も、
「あ」 愛人
で始まるのだが、今回も
「あ」 愛人関係
で始まる。あらま・・・
いずれにしても、どんな反響か気になります。
あとひといき!
さーて、次は何の本つくろう。

2009年3月1日日曜日

最終講義


ハク論の副査をしてくれた先生が、大学をさることになった。
また、めでたいことに次の大学へ。
最終講義は、いままでの先生のご発言「これは○○年に私がすでに指摘したことだ・・」を証明する、学部時代からの「研究」に関するものだった。
たしかに、目のつけどころははやくて、いまの「はやり」が先生にとっては色あせてみえるというのは納得できた。
いやあ、ほんとにいまの学生とレベルが違う。
おそれいりました・・・
いまの人類学の研究は、10年先も読まれるか?という問いも、まさにあたっている。
あらためて、ピピっと発破かけられたかんじだ。
それが、この先生のすばらしいところ。
そう、私たちの世代はたしかに、先生たちの世代より遅咲きが多いのかもしれない。いまの学生たちは、ますますそう。寿命が長くなるにつれ?そうなってるのかしら?大学院マスターくらいで、先生の頃の学部生レベルでしょう。いまの大学生は、かつての高校レベル。ぽやーんと「生きる」ことに苦労なく18くらいまでくると、そうなるのもうなずける。食べるのが大変だと、そう甘やかされてはそだたない。でも先生たちの時代は、いい意味で学問ができた時代でもあった。大学は聖域のようなところでもあったが、いまや世間での位置づけも、変わってきている。そして、社会への関わり方も、もっと考えねばならないのでは?
就職難の私たちの世代は、なおさら前をみないといけない。社会との接点。アカデミズムだけで、これは新しい、古いといっていてもそれこそ意味がないような気がして、社会への発信、アカデミズムへの発信のやりかた、について人類学者は考えるべきだとあらためて。ただ同時になんだか危機感を覚えるのは、私たちの世代、その下の世代、もそれをまじめに考えてるんだろうか?ってことで、上の偉大な人たちがつくったレールのうえだけを歩くなよ、とも。。。。
なーんだか、いまいち生産的な気持ちになれなかったのは、たぶんお説教をくらったということと(笑)、懐かしい顔にたくさんあったからかな?うれしいのだけれど、でも同時に妙な気分になる。私のいまの精神状況が、回顧/懐古でないからだ、とも思った。
さあーて、新しいことをやろうっと。