サバンナで気ままに生きるシマウマのように

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2008年9月1日月曜日

フィールドワーク in Langoland


 まだまだ、わからないことだらけ。今回は初めてだったので、ほとんどコンパウンドの生活、ちょっとちかくのお宅とセンターに行く、というような動き方だった。葬式にも一度でた。  ケニア・ルオと言葉が似ているので想像しやすく、楽だった。驚いたのは、意外にでもどり女性が多いこと。これはまったくもって、ケニア・ルオと違うところだ。慣習法とウガンダ法のせめぎあいがあると推察された。土地の問題、そしてもちろん結婚。どの程度、人びとがウガンダ法や地方政府と近しいかということもポイント。土地の問題はとくに売買が頻繁になされている印象をもった。これはケニアよりも早くからなされている?酒の醸造がリーガルな点も大きな違いだ。私が滞在したのはトレーディングセンターに近かったためによけいかもしれないが、酒づくりをして生計をたてる女性、酒びたりになっている男も多くみかけた。「シングル」研究には、まあいいのかもしれない。  もう少し奥に行ってみたほうがいい気がしているけれど。ランゴランドも、今度くるならもう少し北部に行ってみるつもりだ。しかしさて、どうやって人脈をつくるかな・・

LRA:武装勢力「神の抵抗軍」の大きな影


思ったよりもマーケットの場所にちかいところだったのと、LRAがおそってきたときの難民キャンプが設置されたこともあって、多くのNGOが入っていた。Liraから10キロという立地もあるかもしれない。スワンプを利用したコメ作りもけっこうなされているのがおどろきだった。話には、やはりLRAキャンプ生活のときのとがよくでてきた。LRAとは(the Lord's Resistance Army)。ランゴのところにきだしたのは2002年、セカンダリーの生徒をさらったときからが顕著らしい。数キロ先に住んでいる人が殺され、銃声を夜中にしょっちゅう聞き、逃げていたのだから精神的ダメージも大きいに違いない。さらわれた子どももいて、まだ帰ってきていないという。  ただ、一見、村はまえまえから平和だったかのよう。穏やかな時間が流れている。いまは雨季の終わり、今年は雨がほとんど降らずに収穫が悪く、先月は雨乞いをしたという。次期に期待して耕す人びとの姿は早朝、よくみられる。

ランゴの村でのたべもの

←朝ごはん 一回だけ卵をたべました。
←ランチ   夕飯↓ 黄色いのはUSAIDのトウモロコシの粉でつくったウガリです。


ランゴでの食事は、ケニアでいうトウモロコシの粉を練った「ウガリ」より、キャッサバを好んで食べる人たちのようだ。豆も多かった。そしてさまざまな半栽培の野菜。かぼちゃの葉もうまく葉柄と茎の筋をとって食べる。これらを炒めたり煮たりするのだが、胡麻のペースト、落花生のペーストをつくっていれるという料理法がさかん。ガンダの影響か?それにしても、ペーストをつくるのは、とても大変な作業。胡麻は炒ってから臼でつく。落花生の場合は、まず殻から豆をとり、ペーストにするなら炒って、薄皮をとって、そして臼でつき、さらにそのあとに滑らかにするためにグラインドする。落花生の粉をつくる場合は、豆がまだ乾いてなければ少し日に干して、そして臼でつく。お手間入りの食事をなんどかいただいた。

Langoの村にステイする



 ガンダ人のところで調査している友人のホストファミリーのお姉さんのだんながランゴ人で、その人の異母姉のところにお世話になった。Liraタウンから、ボダボダ(バイクのタクシー)に乗っていく。  私が寝ることになった小屋は直径2mくらいの、小さな小さな小屋(写真中央)。物置にしていたらしく、さっそくに牛糞で床をきれいに塗りなおしてくれる。半日であっというまに乾く。ただ、匂いがちょっととれないけれど。小さな空間に、マットレスをしいて蚊帳をつってくれて、専用の水浴びバケツも用意してくれた。一人の空間がもらえるのはまた、うれしいことだ。 ただはじめ気になったのは、ブンブン大きな音をたてて入ってくるハチ?の巣が小屋のなかにあったこと。すぐ慣れてしまった。
←朝靄のなかのウシたち。