サバンナで気ままに生きるシマウマのように

サバンナで気ままに生きるシマウマのように

2010年1月21日木曜日

Field+、一般に発売開始!!!


いよいよです。
Field+、一般販売が始まりました。3号目、二年目にして実現しました。大塚元所長の希望もかなった!そして大塚先生の追悼号からの発売!
TUFSの生協では店頭で売っています。ほかにも、ジュンク堂、紀伊国屋にもおいています、アマゾンにはまだひとつき弱かかるかもしれないけれど、ネットでも買えるようになります。私の共同研究の特集1号も、そして2号も、おって販売の方向に動いています。販売記念のイベントも企画中!!はやくよみたい方は、書店に申し込んでくださいな。

2010年1月20日水曜日

お祝い鯛



ハクロンのお手伝いをした甲斐、あったかな・・サイエンスの世界のハクロンは、社会科学よりも大変なような「気が」します。ドラフトを提出してから、審査員とのディスカッションが何回あったか。。一回目はプレゼンテーション(10月)、11月に訂正事項などを含めまた面接+ディスカッション、1月19日がさいごの面接+ディスカッションでした。
やっと終り~ということで、いつもよりこって料理。
アフリカ人には鯛はおめでタイ意味はないけれど、好きな魚料理をと、南瓜!
セネガルボーイにおそわった、マスタード風味の魚料理をアレンジしました。

2010年1月19日火曜日

新年のお仕事?

センター試験の監督も終わり、翌日は、さあて、自分の論文(しかも締め切りすぎてる!)をしようかな、と思っていたのに。。

明日までにしろって指導教官に言われたーと言われ、しょーがないなあー・・・

ハク論のお手伝いをするハメに。

私だったら、審査会の前々日に、こんなことを学生にはいわんぞ。サイエンスの世界は違うのかしらん。

というわけで、臨時のエセ・サイエンティストとなりました・・

大豆のDNAについて、とあるカリフォルニア大のデータベースを使い、ひとつひとつ、調べていく。。。・


配列は、こんな感じで・・・

どんな配列なの
か、なんの役割の遺伝子で、またその位置はどこで・・・・と二つのデータベースをつかって調べていきます。。

でまた、「まちがいがあった」とあとでいわれ、「わるかったな」お礼を先に言え!と少々キレそうになりましたが、オトナにならなきゃ、と「ああ、そうだった、わるかったねえ」といっておきました。

まあ、でも違う世界のことをかじるのも、悪くはない。

しかし・・・ああ、自分の論文が・・ごめんなさーい、、、



2010年1月13日水曜日

今年度最後の「売れっ子」


母校にいくたびに、楽しみなのがSパンの「売れっ子」。
べたな名前で笑えるけれど、いやあ、名前のとおり売れっ子かなあ、やめられない。あまくこーティングされたパンのなかに、、あたあまーいミルククリームが。うーん、おいしい。
 今年度、もう行くことはないだろうから、しばしのお別れ。
 さて、非常勤も終わった。
 あとはレポートをまつのみ。
 最近は、あんまりこれ!というレポートがない、、のはフォーマットが甘いせいか?来年度からは、レポートの枚数を増やそうかな。

2010年1月6日水曜日

あけましておめでとうございます 2010 

今年はきっといい年でしょうから(I hope)ときどき書くことにします! 
お正月は、骨折した母を1人にしておくわけにはいかず、暮れに帰って、ケニア人のお友達もいっしょに年末年始をすごしました。
紅白歌合戦をみて、元旦はうちはいつものように、京都からとりよせる美しくて美味しいかまぼこ、そして白雑煮です。
彼もたべていました、お雑煮。かまぼこや、お煮しめも「つまんで」いました。
でも結局、いつものようにチキンを食べさせておけばいいんだ、ってことがわかりました。私と母は和風でおなかいっぱいブランチを食べたつもりが、「もしかして、さっきのはランチもいっしょ?」といわれてました(苦笑)。
父とよく行った月読神社へ初詣、ちょっとドライブ・・
あと、お正月は初めてのピザづくりに挑戦。けっこう、休みなし。家事でいそがしかった・・・

2010年1月5日火曜日

2010年 昨年のことを払拭するために

ひさびさのブログ。
いまシンガポールにいるという幼馴染にそろそろ一年たっちゃうぞー、といわれまして。
そうです、たちすぎました。でも、ちょうどご無沙汰になったのは、やはり理由がありました。

桜を楽しんだあとの去年は、つらいことが多すぎました。
4月29日、尊敬し大変お世話になった大塚先生が他界。そのあとは、じゅうぶんに悲しむ間もなく、先生が新聞や雑誌などに書かれた記事、論考をまとめて本にする編集作業の傍ら、800人に案内をだし300人ほどのかたがたがいらっしゃる、「大塚和夫さんとお別れする会」の企画運営を実際、3人でやることになりました。7月20日には無事に会がおわり、そしてめこんからだすことができた『ありがとう』も無事に出版。都立大学社会人類学、トリツのネットワークと団結には、ただ感謝するばかり。AA研での大塚文庫設置がきまったので、いまもまだ、みんなの力で作業が続いています。

どうも、私は前期、かなりの精力を使い込むことになり、こう、いつも沸いてくるエネルギーが感じられなくなっていました。もちろん、がんばってFieldnet,シングルの研究会はいちおうやってましたけど。自分が主催するものは、やはり集まってもらってみんなにあうと力をもらうので、私にはなくてはならないもの。

いつも元気な私も、どうもエネルギー不足をかんじ、夏は、充電しようとケニアに行ったのですが。
しかも今回は、初めてメディアアートのNさんと共同調査。Nさんは初めてのケニアなので、私ははりきって私にしては大きな額のキャッシュをたずさえ、一週間まえにナイロビ入り。

いやあ。。。
やられました。ケニアに初めていってから、15年目にして、車にのっているときに襲われました。
カージャックされなかった、殺されなかっただけでよかった・・・そのくらいたいへんな被害でした。
すべーてとられました。一文無し。買いたてのPCも、iPhoneも、デジカメも、、クレジットカードも、パスポートも、国際運転免許証も、すべて。 モノもえらい被害だし、心の傷が・・・トラウマになってしまい、やはり。あとでパスポートと国際免許証、USBメモリ(だけ)が戻ってきたので、いまも仕事に支障なく生きています。この戻ってきかたがすごくて、、映画のようでした。
この一部始終は、いつかどこかで書きます。

うろたえて、もう帰ろうかと、初めて思いましたが、ナイロビには私が慣れ親しんだすてきな研究者がたくさんいて・・みなさんのおかげで、立ち直りました。ありがとうございます。
パフェ券とか、イタリアンレストランでのお食事券とか、義援金などなど。S大のKさんはマッサージ券をくださろうとしたそうです、、セクハラ!といわれてやめたとか。今度、楽しみにしています(笑)

それにしても、ナイロビのブラックな面をいやというほど、体感しました。
この国は・・・警察と窃盗団、そして政治家・・・金・・・このリンクをマシな状態にしなければ、未来がないなあと悲しくなるばかり。

気をはって、Nさんをむかえ、共同調査を終えて帰国しました。
このお仕事は、もうすぐHPで公開するのでお楽しみに。とはいえ、まだプロジェクトを開始したばかりで、今年からがんばってまた軌道にのせていきます。
「フィールド3Dプロジェクト:歴史文化の時空間表現」
http://wakana-luo.aacore.jp/shiinoproject

そのあと、心の傷、ファイナルシャルな傷も癒しつつ、なおってきたら・・・
今度は母が足を骨折してくれました。。 母もかわいそうに、シリア旅行にいく一週間前のことでした。
自分の仕事のことしか考えていなかった私は、うーん、、こんなにプライベート・・家族の世話と仕事の両立がたいへんだとは思わなかった。。子どももってる人は、こなしていることですよね。。
いやはや、いろいろ考えさせられました。
しかし、なーんで、今年はアンラッキーなことが続くのだろうと、まったくもってブルーになりました。

なかでも去年でよかったことは、AA研でのテニュア付与がきまったことです。
みなさま、お認めいただき、ありがとうございました。
どのくらい期待に応えられるか?!わかりませんが、AA研の魅力を活かして仕事していきたいです。

いやなことは払拭して、新しいスタートにするぞ。