サバンナで気ままに生きるシマウマのように

サバンナで気ままに生きるシマウマのように

2009年1月30日金曜日

もう次号のうちあわせ


Field+、創刊号の喜びをわかちあい、そして次号の打ち合わせがはじまりました。
編集者、デザイナーとの
打ち合わせ模様。
分野が違う人と仕事をするのはたのしい。
とくにモノづくりは!
研究者がどんなネタをもってくるか!とまって、またそれにコメントしてくれるのがまた、いい。
次号もまた、がんばろう!
初めての打ち上げは、四谷3丁目の韓国料理屋で。

2009年1月28日水曜日

共編者合宿

またまた、連ちゃんで合宿。あそび合宿ならいいんですが・・・


リーダーのOさんの大学施設にでかけ、缶詰めで共編者、編集者でみんなが出してきた原稿をみなで目をとおしてきたわけです。

前日はみなそれぞれが仕事のあと、横浜の出版社に集合。そこでできたての校正原稿を携えて、3時間弱のドライブをして到着。そのあとお風呂に入って一杯、ながながと本について、本のトピックにかんするもろもろ・・・お酒もはいって、トークは話題も時間も拡張。さすがに朝は若干つらし。 Tさんも前日、他の霊長類学者らとこーい飲みを朝までしてたというし。
初めての袋とじの本をつくろうかとか、こんな絵が必要だとか、オプションの話も朝からもりあがります。。
それにしても部屋から、また食堂からの眺望は海がみえて、気持ちがよかった。
朝一で、作業開始!

けっこう面白い本になるんじゃない?とみなで自画自賛(笑)。

でも、まる一日原稿ばかりみてると、疲れました・・・・ふうぅ。あと、もう一息!!出版は3月!











2009年1月26日月曜日

琵琶湖でシンポジウム合宿

若手研究者が集まるシンポジウム合宿に2泊3日で行ってきました。
会場は琵琶湖がすぐそこにみえる、美しい部屋だった。
窓際で、ついつい、発表の最中も琵琶湖にうつる日の光の変化をみちゃったりして。

参加者は、半分ちかくは初めてあいました。
37-40人くらい、のほとんどが人類学の人で東大、京大、阪大が多かった。同じ年代の人たちと、(もう下の人も多くなりましたが)議論したり、懇親会でただのおしゃべりをするのも、お部屋でのおしゃべりも、非常に楽しかった。
発表もイロイロでしたが、勉強になることも多し。刺激をたくさんうけました。

またFieldnetの説明もさせていただき・・・
さて、反応はどうだろう。
http://www.humanosphere.cseas.kyoto-u.ac.jp/article.php?story=20090123-25_02

2009年1月21日水曜日

土地のおいしいもの

札幌にいる姉が、ホタテを送ってきてくれた。ものすごい肉厚。母とふたりではもったいないので、近所に住む同僚のNさんのお宅にももっていく。
ホタテさんが、こんなにうまいものかと、おどろき。東京にくらしていると、自慢のものがない。

デザートには、これまた頂き物の、京都の虎屋のおまんじゅう。これも美しいし、餡がやっぱり美味。京都の祖母がいつも虎屋さんの餡はちがう、といっていた。


いい贈り物ができる土地にいる人はいいなあ・・

2009年1月20日火曜日

オバマ大統領誕生


1月20日、また嬉しかったこと。
いよいよ、オバマがほんとうに大統領になった。
テレビに釘づけだった。
新しい時代がやってきた。
ケニアでも、喜びは大きい。
ちょっとググってみても、ウェブ上にたくさん記事がのっていた。
・オバマ家のルーツ・コゲロ村は大宴会
・オバマ氏の父の故郷はお祭り騒ぎ
・オバマ大統領誕生と同時刻にうまれた赤ちゃん
・ニャンゴマコゲロ村は大騒ぎ…オバマパパの出身地です
・オバマ氏は「ケニア人の誇り」 父の故郷も就任演説に熱狂、歓声
・ケニアの村も祝賀ムード オバマ氏、父の故郷
・オバマニアたちの巡礼の地、ケニアの「オバマランド」
相当な数のアメリカ人が、「オバマランド」にお越しのようだ。
ふつの村なんだから、もちろん水道も電気もない。宿なんてない。
いきなりエコロッジなるものをアメリカ人がつくりだしたらしい。
道もよくしているとか。この熱、いつまでつづくやら・・




『Field+』完成!


1月20日は、楽しみな日だった。1年かけてつくってきた、広報誌『Field plus』が刷り上ってくる日だったから。
なかなか感慨深いです。
一緒にがんばってきたリーダーがインフルエンザで来られないのは残念。喜びをわかちあえず。。
はやく、みんなに送って反応をみたい!

2009年1月15日木曜日

月がきれいだった

帰宅するまえに、職場の建物7階から。

月がのぼったところで、まだ赤かった。

月を追うように車を走らせ、帰宅。駐車場に車をとめ、車から降りると、ふっと光を感じた。月の光。夜の住宅地はちょっとはくらいから、満月の光の強さはまだ感じる。ついつい、アフリカを思い出してしまう。満月でなくても月の光は夜には重要。日が暮れたら、月の光が頼り。ふつうは懐中電灯など使わない。逆に新月の暗闇はたまらなくこわい。 夜の外は文字通り真っ暗。

あー、このところ着信記録が多いケニアナンバーの電話が気になってきた。そうそう毎回、おかえし電話はできないのだが。。日本にいると、なかなかケニアの村モードになって話せないのがつらい。私がどんなあわただしい毎日をすごしているかは、うまく説明できないし、わかってはもらえないだろうから。また、ケニアに永住しないのか、家を建てる計画があるんだから、決心してくれという話に違いない。
 「君が日本にいても、同じ月をみてるんだよね」とか、おばちゃんには「月はひとつなんだろうか、Wも日本にいるとき、同じをみてるの?」とよく言われた。なんだか、うれしいらしい。
さて明日、よく電話をしてくる友人に電話でもしようか。



2009年1月12日月曜日

緊急集会「イスラエルによるガザ侵攻を考える」

2009年1月11日、
東京外国語大学・中東イスラーム研究教育プロジェクト主催で行なわれた集会に行ってきました。いつも顔を合わせている同僚の方たちがリキをいれているんですから、行かねば!前の日もムスリムの研究会で夜遅くまで一緒にいたにもかかわらず、さすが。

ここ連日のメディアによるガザ地区への攻撃に関する報道の仕方に疑問をもった酒井啓子氏が4日まえに呼びかけたのだという。

一昨日も授業で話題にしようと思い、ガザでなにがおきているのか、その背景などもにわかにネット検索しまくって勉強したが、やはりずっとおってみていないと記事の書かれ方の違いに戸惑った。でもそれは間違いなく、記者のとらえかたや書き方の問題でもあることがわかった。

●かなり基本的なことなのに、分かりづらい報道になっている、と指摘されたのは、ガザは占領地だということ。イスラエルは管理地だと言っているらしいが・・。パスポートをとるにも、モノを売るにも、すべてイスラエルを通じてしかできないので、住人はイスラエルにしばられている(錦田、臼杵、酒井諸氏による)。

●テロという言葉の定義と、それをめぐるおかしな論の建てられかた。
これはアメリカがつくったもの。テロリストとは、テロを実行しないかぎりそうだといえないのに、どうやって「認定」するのだ?対テロ戦争とは、誰が相手か分からないのに、テロリストだとレッテルを貼って攻撃し、死んでしまった場合に「死んだ人はテロリストだった」「これは正しい戦争だった」といえる構造をつくってしまった。それ自体がおかしいことに、気づかなければ!
アフガニスタンでも、はじめタリバンはテロリストでなかったのに、アメリカはそうレッテルをはって仕掛けた。死んだら「タリバン=テロリスト」だったと。しかし、数知れないふつうの人々が殺されている。市民の常識が対テロ戦争の暴走をかろうじて阻止しないと!(飯塚氏)

●テロという認識が、中東と欧米ではまるで違うことが、世論調査でも明らか。現場と欧米のテロについての認識のずれが著しい。パレスチナ人にとっては、イスラエル人がやってきて、ブルドーザーで農地を掘り返してしまう、パレスチナ人を殺す、こういった「テロ」と戦っているのだ。

●「自衛である」という言い方がどんどん広まって悪化していること。だれもかれもが自らをますます軍備化し、競いあっていく・・・

会場は100名までの規模だったが、立ち見も多く、のべ150はきているだろう。もっとだろう、だぶん。お歳の方もかなりいたし、子連れの人もいた。学生らしき人たちも。後方では座り込んでいる人が多数。11時から3時までの長丁場となった。立っているとキビシかった。でも、行ってよかった。

●東京外国語大学AA研 中東イスラーム研究教育プロジェクト
http://www.tufs.ac.jp/common/prmeis/about_us.html

●ガザ情勢についてはこちらから↓http://aziza.web.fc2.com/contents/palestine/p_gaza_index.html

2009年1月11日日曜日

Facebookありがとー


研究会があって、遅くに帰宅してメールをチェックしたら・・・なんとギリシアの友人2人がFacebookをつうじて招待してくれてました!
もう何年来のつきあいだろう、学部生だったころ、バックパッカーしていたときに知り合った家族なので十数年前。長女の結婚式に行ったのがあの9・11があった直後だった。長男のマノスはまだ結婚してないのかしら。次女のマリアもしてなさそう。一番初めに友だちになった長女のカテリーナは子どもが二人できて、お店もやっているので忙しそう。最近ご無沙汰してしまい、どうしたことやらと思ってました。
ネットってすばらしいわ。
やっぱり自分のページも英語版もつくらなきゃだめかな・・・
昨夏には調査の帰りにパリによったとき、ドイツ人の友人が会いにかけつけてくれたけれど、彼は私のHPをみつけたらしく、「英語で書かないのはフェアじゃないよ、なーにが書いてあるんだかわからない」と言われてしまった・・・はーい、考えます。
 しかし、あらためて・・・「バックパッカー」っていう言葉は、いまの学生は使わないのだろうか?元旦に見た激論2009のなかで、最近の若者の「内向き」さが、例えば海外に出る学生がすこぶる減っていることを数字で表していた。私が大学生だったころはまだまだ航空券のチケットも高くて、忘れもしない、私が初めてバイト代をためて一人でヨーロッパにむかったのはアエロフロートだった。それが一番安かった。でもあの旅でえた友だち、たくさんいたけれどさすがに、十数年たつと付き合いが残っているのは数人。でも、そのドイツ人の友人とはオランダのYHで会ったのだが、互いの国のことで質問しあってほとんど夜が明けたのを覚えている。その後も私がフィールドワークをしているアフリカまで、何度も手紙をくれた。電話料金が安くなってからは、なんやかやと気が向いたら政治、教育がらみの議論などふっかけてくる。ギリシアの家族とは、家族ぐるみでやりとりが続いていて、やはり結婚式に行ったことは大きかった。フィールドを変えようかしら、とアタマの隅にあったりして。

昨日の某大学の授業で、最近の学生は「内向き」、そして「人類学の授業を受けたあとに「日本がいちばんいい、やっぱり日本人でよかった」といわれるとがっくりくるという話題をしたら、レスポンスペーパーに「大学生になったら海外にバンバン行こうと思っていたのに、一度行ったら日本のほうがごはんは美味しいし便利だし、海外旅行への関心がなくなって、国内でいろんなところに行きたくなった。自分でも自分の心変わりが不思議」とかかいてきた女性がいた。うーん。バックパッカーをして得た友だちとの交流って、けっこう私のなかでは刺激と興奮をもらったけれど、どうなんでしょうね、いまの大学生。なにが一番興奮するんだろう。好奇心を、どんなものにかきたてられるんだろう。自分も内向きです!といってくるのも驚きだった。そういう彼らに、どうやって何かをインスパイアさせることができるだろう。このごろ、つねづね、学生に「つたえる」ということに自信がなくなってきた・・・方法を考えねば。

2009年1月4日日曜日

そして、私たちは愛に帰る


ひさしぶりに・・・・映画館で映画をみました。うちの近所のシネコンでは、1800円払って見たい!という映画をやっておらず(失礼!)
銀座シネスイッチに行ってきました。お目当ては「そして、私たちは愛に帰る」。私よりひとつ下の73年生まれの監督。脚本と監督はファティ・アキン。トルコ系移民2世としてドイツに生まれた、その背景がそのまま活きていた。ドイツとトルコを舞台に、3組の親子をベースにその6人が直接的、間接的に関連しあう。そこには親子愛、友人愛、男と女(老人の性ともいえようか)、そして政府や階層などへの反体制思想、EUを代表する大きな国と、トルコのような文化的、地理的にも複雑な要素をもつ「小さな」国、という要素が彼らの関係のなかにいやおうなしに反映される。また移民の1世と2世に生まれる隔たり、2世にとってもどうしようもないアイデンティティの模索、も現れている。
主人公の移民2世が大学の教員だったり、政治活動する勇ましい女性ができてきたり、と私の居る環境とだぶって共感してみる部分もあり。しかし、移民の抱える背景は、奥がふかい。。フランスの移民の研究をしている友人が、1世と2世は抱えているものも、考え方も振る舞いも違うんだ、と言っていたことが思い浮かびました。「移民問題」も幾重にも要素が絡まっている。
 なかなか、いい映画でした。同じ世代がつくる映画ということもあって、刺激をうけました。

2009年1月3日土曜日

お正月の横浜

いつも、空港までの道のりで横目で通り過ぎる横浜。とくに大きな目的はなかったけれど、ぷらりっとお散歩してきました。JR横浜フリーパスで、まず石川町へ。賑わう元町を歩き(人より犬が多いじゃないか?!っていうほどお犬さまが多かった)。


そのあと、初めて「あかいくつバス」にも乗り、そしてかつての線路ぞいに日が暮れ行くウォーターフロントを歩く。人力車も頑張ってましたわ。意外と、観光客多いのね・・という私もそのone of themなんでしょうが、目的がなく日本で歩くなんて、久しぶり。歩いていて、だんだん暗くなって夜景にかわるところがすてきだった。ちょっと昨年は忙しすぎたので、やっと自分の感覚を戻してきた感じです。さあ、あと少しお正月を楽しんじゃおう。

2009年1月2日金曜日

謹賀新年

大晦日もなぜか出勤し、ちょっと仕事を片付けて、実家へ。
よみうりランドの丘の登るときに、なんとタヌキに遭遇。おどろきましたね。すでに車はすいていて、後ろに続いていなかったのでラッキーでした。タヌキさんはこちらをごらんになり、のっそりと道の脇へ去られました。年越しにするにあたって、いい食べ物でも探していたのでしょうか。
でもなんだか、来る年はイイコトがありそうな!

元旦は、あっという間に来てしまいました。
やっぱり、正月は白雑煮と京かまぼこでしょう。
お正月だけに出す京漆器もよし。
また、母のお煮しめは美味。
(写真はすでに2日目なので簡略化)

元旦のTVでよかったのは、NHKの激論2009だった。
竹中さんののけぞりかえった態度と、格差問題を
取り上げることにはナンセンスさを示し、明らかに
弱者切捨てのお考えを披露なさったことには
改めておどろき。大臣をなさると、あんなに「えらく」なるのか?
あなたも、炊き出しにでも行けばどうでしょう?っていいたい。
金子さんは相変わらずがんばっていたし、ジャーナリストの斉藤さんの発言や姿勢には好意をもった。
勝間和代さんもかっこいい。
でも、彼女も暗に言っていたように、明らかにジェンダーバランスから呼ばれている感じもぬぐいきれず
それは残念。
スタジオに来ていた20代の若者たちは、なんだか幼くみえたし、発言もしかり。まえは
どきっとするような鋭いことをいう人たちもいたのになあ。
アラサー女子として、今年はいろいろやることを考えようって思いました。