サバンナで気ままに生きるシマウマのように

サバンナで気ままに生きるシマウマのように

2008年9月23日火曜日

見る、見てもらう、見られる



セーヌ川のうえで、くらしている人たち。
なにやら、自慢げに船のうえで暮らしているようにみえる。暮らしを「見て」もらう―そんな感じだ。
これは、人類学者がでかけて観察しにいく、そしてそれはまた、観察されることでもある。Observer とはobserveされるものなのだ。こうした議論は、80年代から、私が人類学を志そうとしたときはまだまだ健在な議論だった。でもこのセーヌ川の上で暮らす人たちは、それとは反対に、世界中からパリ観光に来た人に、「見てもらう」ことを念頭においてるみたいだ。

週末のパリ郊外



週末を利用して会いに来てくれたお友だち夫婦と、
パリ郊外のフォンテンブローへ、ドライブする。





ちょっとドライブしただけで、畑。








穏やかな、小さな町でした。
ナポレオンも住んでいたというお城でのひととき。

ドイツから

ドイツから、92年以来のお友だちが車走らせてやってきてくれました。こんどは新しくLinaちゃん(テリア)も一緒です。
カフェにはいったら、ウェイターがLinaの水ももってきてくれました。ちなみに、水代は請求されず。

この色


久々にみたエッフェル搭。
夜になったら、あおーく光りだした。
うーん、どうよ、この色?
おまけにEUのマークがついてるぞ。
ドイツ人の友人いわく、フランスはEUの中心だって
主張したいんだろうって。

2008年9月22日月曜日

お目当てのケ・ブランリ


ケ・ブランリ。今回、フランスによったのはここに来るためです。
人類学の大先輩のY先生に、ぜひ行くようにと言われたから。地球の歩き方にも、ほとんどの日本語訳は「ケ・ブランリ美術館」だが、「ミューゼ」なんだから、博物館でも美術館、でもいいのだ。でもどちらをえらぶか。人類学博物館、ルーブル美術館、両方ともミューゼ。

ケ・ブランリは、フランスが大英博物館に対抗してつくったという。
さて、どんなもんだろう、と期待して、地図をみて探していった。

まず、はじめに出会った植物で覆われた建物。上から水がしたたってきた。いまどきの、エコ建物。


そして入口からはいると、人工的なススキ野。
遊歩道をぷらぷら歩くと、チケット売り場に続く。なんとも、フランスらしいいまどきのスタイルだ。自然を重んじる和の要素と、フランスのシンボル、エッフェル搭が背後にそびえるシチュエーション。モダンで大胆な色とつくりの建物。
たしかに、大英博物館とはまったくちがう。

フランスによりました


ひさびさのパリ。うーん、92年、バックパックできて以来。空港から、プジョーのタクシーで街に。さすがフランス、空もつかってアート。

2008年9月21日日曜日

夕ぐれのヴィクトリア湖


ナイロビへの夜行バスを待つ間、ヴィクトリア湖の湖畔まで歩く。数時間、湖とともにすごす。
また、来る日まで。

村でもケータイ


私がやってきたら、ケータイを使わせてもらおう、といろいろ考えているようだ。
弟の嫁さんは、ひさしぶりに生家の母と話せてうれしそう。
ママのまわりを、こどもたちも楽しそうに囲む。

子どもたちと、川の字になってねる



弟の家で寝る。
雨季なので、ちゃんと蚊帳もはって、子どもたちと川の字になって寝る。もっというと、鶏もすぐ隣で眠る。

朝、おきて私のエリアにやってくる子どもたち。

omusiじいさん


いつものように、チャイの葉っぱ、砂糖をたずさえておじいさんをたずねる。
このごろ、足が腫れて体調はいまひとつらしい。

バナナのマッシュと、畑からの落花生のロースト、チャイ、とおやつがでてくる。おじいさんの第三夫人のおばあちゃんがつくってくれた。

おじいさん、まえに私があげたパイプをもってくる。
ゆったりと、ルオ語での会話がたのしい。

帰るとき、おじいさんのお薬代をそっと渡しておいた。

夕飯はチキン


弟夫婦が、私のためにチキンを屠ってくれた。
このごろは、ほんの数日とか一日、などしか滞在できないので
みな文句たらたら。
しかし、。なんとか私をもてなそうと、それはそれは
たくさん食べさせようとする。
このチキンがでてきたのは、夜の11時だったかな・・・

朝は私の好きなチャパティ

私がたずねると、リネットはかならず
チャパティとミルクティの朝食を用意してくれる。
小学校の教師をしている彼女が、いそがしい
朝に早起きしてつくってくれる・・・

2008年9月20日土曜日

二重の虹


雨季だと、こんな景色も。
道中はぬかるみだらけで閉口したけれど、
みるみるうちに虹が「できる」過程をみられて
たのしい。しかも二重!しかも半円!

おみやげ~飴玉

ナイロビからもっていった、子どもたちむけのお土産、飴玉。
ママからもらおうと並びます。

2008年9月19日金曜日

Luoの家族に会いにいく。

9月は、小雨季。ルオランドの村に行こうとおもったら、マタツにのっているあいだに大雨がふってきて、道はあっというまに川。道はますますわるくなっていた。。

2008年9月15日月曜日

マサイマラ with friends


今回、すばらしい出会いのひとつ。帰る間際。赤ちゃん、かわいかった。。。
S君が遠くをみて、あれはチーターだっ!と。
近づいたら、子連れだった。















夕暮れのマサイマラも、太陽に追いかけられて気持ちよかった。また、もどってくるぞー。

マサイマラ with friends


朝一の一枚。ヌー。












キリンさんってこんなに転びそうな格好で水のむのね。。 













キャンプサイトには象の糞がけっこう転がっていたので夜はちょっと不安でしたが、無事に訪問者はなく朝を迎えました。しかし、朝一で、、イノシシさんがやってきました。

2008年9月14日日曜日

サファリにいくぞ

2008年9月5日~7日
HファミリーとSくん、Mくんとマサイマラへ出かける。大勢でいくのは楽しい。S君は一人でもキャンプをもってでかけるという、なかなかのサファリ好きだということを発見。
 ナイロビから出発し、さあて、壮大な大地溝帯の景色をみるぞ、と構えていたところ・・
 みてください、この斜面。右側に広がるのは、溝の底です。
 景色にみとれた間ナシに、こんな崖の道でなんと若干の渋滞。



よくよく先をみると、トレーラーが半分落ちかかっているところに遭遇。






さらによくみたら、Dangerって書いてありますやん・・・
中身は、石油だったのか・・・?おそろしい。

うっすら遠くにみえるのが、大地溝帯の底です、底。


なんとか無事、マサイマラの近くへ。もう夕方。
1日目はゲート近くのキャンプサイトですごすことに。

2008年9月10日水曜日

牧畜民ワークショップin Nairobi



2008年9月8日、日本学術振興会ナイロビ研究連絡センター(JSPS)でワークショップが開かれました。

「アフリカ牧畜社会の持続可能な発展に向けて:
牧畜研究と開発実践を接合するための新 たな可能性を探る」






私はまたまた、ビデオ撮影のおてつだい。
牧畜民について、研究者(人類学者)、地元の政治家、活動家も積極的に参加して、議論もはずみました。

http://jsps1.org/article.php?story=20080904_ja

2008年9月1日月曜日

フィールドワーク in Langoland


 まだまだ、わからないことだらけ。今回は初めてだったので、ほとんどコンパウンドの生活、ちょっとちかくのお宅とセンターに行く、というような動き方だった。葬式にも一度でた。  ケニア・ルオと言葉が似ているので想像しやすく、楽だった。驚いたのは、意外にでもどり女性が多いこと。これはまったくもって、ケニア・ルオと違うところだ。慣習法とウガンダ法のせめぎあいがあると推察された。土地の問題、そしてもちろん結婚。どの程度、人びとがウガンダ法や地方政府と近しいかということもポイント。土地の問題はとくに売買が頻繁になされている印象をもった。これはケニアよりも早くからなされている?酒の醸造がリーガルな点も大きな違いだ。私が滞在したのはトレーディングセンターに近かったためによけいかもしれないが、酒づくりをして生計をたてる女性、酒びたりになっている男も多くみかけた。「シングル」研究には、まあいいのかもしれない。  もう少し奥に行ってみたほうがいい気がしているけれど。ランゴランドも、今度くるならもう少し北部に行ってみるつもりだ。しかしさて、どうやって人脈をつくるかな・・

LRA:武装勢力「神の抵抗軍」の大きな影


思ったよりもマーケットの場所にちかいところだったのと、LRAがおそってきたときの難民キャンプが設置されたこともあって、多くのNGOが入っていた。Liraから10キロという立地もあるかもしれない。スワンプを利用したコメ作りもけっこうなされているのがおどろきだった。話には、やはりLRAキャンプ生活のときのとがよくでてきた。LRAとは(the Lord's Resistance Army)。ランゴのところにきだしたのは2002年、セカンダリーの生徒をさらったときからが顕著らしい。数キロ先に住んでいる人が殺され、銃声を夜中にしょっちゅう聞き、逃げていたのだから精神的ダメージも大きいに違いない。さらわれた子どももいて、まだ帰ってきていないという。  ただ、一見、村はまえまえから平和だったかのよう。穏やかな時間が流れている。いまは雨季の終わり、今年は雨がほとんど降らずに収穫が悪く、先月は雨乞いをしたという。次期に期待して耕す人びとの姿は早朝、よくみられる。

ランゴの村でのたべもの

←朝ごはん 一回だけ卵をたべました。
←ランチ   夕飯↓ 黄色いのはUSAIDのトウモロコシの粉でつくったウガリです。


ランゴでの食事は、ケニアでいうトウモロコシの粉を練った「ウガリ」より、キャッサバを好んで食べる人たちのようだ。豆も多かった。そしてさまざまな半栽培の野菜。かぼちゃの葉もうまく葉柄と茎の筋をとって食べる。これらを炒めたり煮たりするのだが、胡麻のペースト、落花生のペーストをつくっていれるという料理法がさかん。ガンダの影響か?それにしても、ペーストをつくるのは、とても大変な作業。胡麻は炒ってから臼でつく。落花生の場合は、まず殻から豆をとり、ペーストにするなら炒って、薄皮をとって、そして臼でつき、さらにそのあとに滑らかにするためにグラインドする。落花生の粉をつくる場合は、豆がまだ乾いてなければ少し日に干して、そして臼でつく。お手間入りの食事をなんどかいただいた。

Langoの村にステイする



 ガンダ人のところで調査している友人のホストファミリーのお姉さんのだんながランゴ人で、その人の異母姉のところにお世話になった。Liraタウンから、ボダボダ(バイクのタクシー)に乗っていく。  私が寝ることになった小屋は直径2mくらいの、小さな小さな小屋(写真中央)。物置にしていたらしく、さっそくに牛糞で床をきれいに塗りなおしてくれる。半日であっというまに乾く。ただ、匂いがちょっととれないけれど。小さな空間に、マットレスをしいて蚊帳をつってくれて、専用の水浴びバケツも用意してくれた。一人の空間がもらえるのはまた、うれしいことだ。 ただはじめ気になったのは、ブンブン大きな音をたてて入ってくるハチ?の巣が小屋のなかにあったこと。すぐ慣れてしまった。
←朝靄のなかのウシたち。

バッテリーがあがった/出発

お世話になって、さあ朝にでかけよう!としたら、車のバッテリーがあがっていてみなで一仕事。オートマだとおしがけできないよ・・・・個人的には、私はマニュアル派。アフリカではとくに、やはり、マニュアルでしょ・・・。ま、なんとかなりました。出発は遅れたけど。  首都カンパラにでて、一泊、翌朝はやくに北上するべく出発。めざすLiraまでの道のりは、ケニアのような、サバンナが広がる景色はなくずっとブッシュがつづく。あるランゴ人のおじさんが、「カラモジョンの土地は美しい!」といっていた。治安は悪いがぜひ行ってみたいもの。治安が悪いのは、カラモジョンがウシをとるべく銃をもってレーディングするからで、バスに乗って行ったらカラモジョンも乗ってるから襲われないよ、とパドラ人。
 ランゴランドまでの景色は車窓としてはいまいちだけれど、ナイル川をわたるときはいい気持ちだった。Karuma Falls. ものすごいいきおいの水がどーっと流れている。これがまた地中海につづく、あのナイル川に続いていると思うと感慨深いものがある。バスのなかの人たちも、みな窓側によって、息をのんでみていた。

太鼓の音にさそわれて


国境の比較的ちかくをフィールドにしている某人類学者Uさんのところにお邪魔しました。 ほんとに、人それぞれの調査のやりかたがあるなあとつくづく。Uさんは、自分で木炭も七厘も食料も買ってもっていき、作ってくれる人を雇うやりかたらしい。私はいつも、ホストファミリーが作ってくれるものを一緒につくったり見たりして食べる。たしかに、自分が食べたいときに食べたいものが食べられないのではあるが。私もきっと、自分のやり方ができているんだろう、たぶん?!自分ではよくわからないけれど。
 太鼓の音に誘われて、となりの建物のほうに歩いていったら、なにやらダンスグループの練習だった。お客がきた!とさっそくに披露してくれる。カンパラで行うショウの練習をしていたらしい。軽やかな太鼓のリズムと弦楽器の音色、そして激しく微妙に身体を動かす少女たちの踊りに見とれる。歌も歌ってくれた。