4月。フレッシャーズがどこもそこもたくさんですが、ケニアからも何人か、新しい留学生がきました。すでに日本の生活の経験のある人が、「いかに日本で生き残るか」と、生活の知恵を伝えます・・・
いやあ、たしかに。
私もケニアにいくとき、ナイロビモード、そして田舎町モード、村モードと切りかえるけれど、けっこう大変でしょう。
どう日本になじんでくれるのか?楽しみ。
しかし、ちょっとしたことも日本語で分からないと、何年も日本にいたとしても、かなり無駄な苦労をしている人もいて、日本がいかに日本語社会で、他国から来た人にまだまだ不親切であることがわかります・・・
サクラをたいへん楽しんでくれました。
あたりまえのことだけれど、人生はおそらく、フィールドワークの連続。日本の、アフリカの、どこにいても。人類学に出会ったから、フィールドワークって言葉で自分がやっていることを説明したいのだと思う。でも日本にいると、ゆっくりと考える暇もなくて、ただただ過ぎ去りすぎる。そう思って、なにか書きとめなくてはと。。。
サバンナで気ままに生きるシマウマのように
2009年4月6日月曜日
2009年4月3日金曜日
2009年3月27日金曜日
FIeld+ 創刊記念 発表会
FIeld+ 創刊記念パーティ
Field+ 創刊記念パーティを、所内のAA会と共催でやりました!
発表会につづく、懇親会は吉祥寺のラオス料理やで。
言語学者で幹事だったSさんによると、この店では現地にかなり近い味が楽しめると。からーいものも多かったが、もち米とのハーモニーもすてきだった。
所員にも、Field+の執筆者を紹介。
たぶん、ちゃんと見てない人もいるかもしれないので
コーナーのコンセプトも説明。
まあ、これも徐々にどんな雑誌か、出すことによって存在感をましていくものでしょう。
いやあ、楽しい会でした!
執筆者のみなさま、ほんとうにありがとう。
編集長のHさんも充実感があったみたいで、それもうれし。
ぜひぜひ、執筆者同士をつなげる、そこに所員もくわわるという機会を今後もつづけたい!
また、こんごともよろしく!!
発表会につづく、懇親会は吉祥寺のラオス料理やで。
言語学者で幹事だったSさんによると、この店では現地にかなり近い味が楽しめると。からーいものも多かったが、もち米とのハーモニーもすてきだった。
所員にも、Field+の執筆者を紹介。
たぶん、ちゃんと見てない人もいるかもしれないので
コーナーのコンセプトも説明。
まあ、これも徐々にどんな雑誌か、出すことによって存在感をましていくものでしょう。
いやあ、楽しい会でした!
執筆者のみなさま、ほんとうにありがとう。
編集長のHさんも充実感があったみたいで、それもうれし。
ぜひぜひ、執筆者同士をつなげる、そこに所員もくわわるという機会を今後もつづけたい!
また、こんごともよろしく!!
2009年3月23日月曜日
帰路 from 生態人類
2009年3月22日日曜日
連休
世の中は連休で、そうそう、春分の日。
ルオ人のお友だちからずっと会おう会おうといわれていたので、会うことに。なんと、私のために料理してくれた!
ウガリをつくるためのトウモロコシの粉、これは日本ではたいてい「イエローメイズ」しか手に入らないので、さらさらした粉。ルオランドでは白いしっかりと実がついたトウモロコシが好まれる。
そして、牛レバーのかたまりを買っておいてくれたので、ちょっとカレー味にしたケニア風レバーソテー、キャベツとたまねぎの炒め物、ウガリ、そしてウガリ、とつくって食べたのでした。
いやあ、ルオの男子にごはんをつくってもらうなんて初めての光景で。かなり感動もの。
20日はなぜ祝日なのかという質問にも四苦八苦おこたえしたのでした。
ルオ人のお友だちからずっと会おう会おうといわれていたので、会うことに。なんと、私のために料理してくれた!
ウガリをつくるためのトウモロコシの粉、これは日本ではたいてい「イエローメイズ」しか手に入らないので、さらさらした粉。ルオランドでは白いしっかりと実がついたトウモロコシが好まれる。
そして、牛レバーのかたまりを買っておいてくれたので、ちょっとカレー味にしたケニア風レバーソテー、キャベツとたまねぎの炒め物、ウガリ、そしてウガリ、とつくって食べたのでした。
いやあ、ルオの男子にごはんをつくってもらうなんて初めての光景で。かなり感動もの。
20日はなぜ祝日なのかという質問にも四苦八苦おこたえしたのでした。
2009年3月21日土曜日
フィールドワークにかんするシンポ@早稲田
20日、春分の日。春です、春。私の誕生日もあと一週間。。
休日ですが、やっぱり研究室に行かざるを得ず、休日出勤。
その貴重な時間に、「くらしと制度をつなぐ会」の編集作業、質問まで電話にメール・・
ぎりぎりに走って早稲田にむかう。ここのところご無沙汰していた早稲田だが、学会のお知らせで届いたシンポの内容が面白そうだったので出かけることに決めていた。
「エスノグラフィーの素朴から方法論への革新へ―フィールド研究の深化をめざして―」
余語さんが問題提起。質的データ研究のながれ、そのなかでの人類学のフィールドワーク、エスノグラフィーの位置、といった内容。ウェブ時代の人類学の新しい方法として「ヴァーチャル・エスノグラフィ」といっている人。霊長類学の観察、分析、記述の方法、そして最後は社会学のネットワーク論の視点からの家族親族研究の方法、、 私のいまの関心事、ウェブ時代、家族・親族、ネットワーク、人類学、フィールドワーク、というキーワードに響くところはたくさんあり、勉強になった。ただ、デジタル技術の発達によるデータ収集の方法としてウェブの活用を考えるのはいいけれど、必要だけれど、どうもそれだけに偏りがちなのか?と思ってしまったり・・・あくまでも、切り口、着眼点の一つにすぎないのだということを前提に「フィールドワーク」して人間と人間の接触、ぶつかりあいを見聞き、ときに自分もそのなかに居る状態でないとなにも分からない・・・また社会学の場合は文化の違いを考えずに質問を考えているので、社会ごとの文脈、という点においての配慮が少ない!と思った。かなり、そのへんが単純な印象。。。
知り合いに、Fieldnetのチラシをわたす。
http://www.waseda.jp/assoc-wsca/meeting_sympo.html
2009年3月19日木曜日
Sakamoto's Concert
いやあ、まいりました。まだずっとSakamotoのピアノがアタマのなかをまわってます。待ちに待ったSakamotoのコンサート、ひさしぶりでした!東京フォーラムもひさしぶり。
舞台は二台のピアノで、一方は自動ピアノ。いつもの映像をうつしだすスクリーン。シンプルな光。CO2の排出、環境を考えたコンサート設計。
しかも始まりは水の音。北極の氷がわれる音。気のせいか、すてきな微風もふいてきて(かなりな前列だったのだ!!!)もううっとりする音の空間になっていった。そして真っ暗な中登場したSakamotoさんはピアノの弦で水音にあわせて即興。
むかし、神奈川県民ホールで高橋悠治とやった現代音楽のセッションを思い出させた。
1919のときは、なんと撮影がいい!とのことで、みんなカシャカシャ携帯でとってた・・・で、私も。いがいとよく撮れてるかも。
グリーランドの音、人々の声、Sakamotoの奏でる音。。。
あー、どれもこれも心が洗われました、ありがとう!!
舞台は二台のピアノで、一方は自動ピアノ。いつもの映像をうつしだすスクリーン。シンプルな光。CO2の排出、環境を考えたコンサート設計。
しかも始まりは水の音。北極の氷がわれる音。気のせいか、すてきな微風もふいてきて(かなりな前列だったのだ!!!)もううっとりする音の空間になっていった。そして真っ暗な中登場したSakamotoさんはピアノの弦で水音にあわせて即興。
むかし、神奈川県民ホールで高橋悠治とやった現代音楽のセッションを思い出させた。
1919のときは、なんと撮影がいい!とのことで、みんなカシャカシャ携帯でとってた・・・で、私も。いがいとよく撮れてるかも。
グリーランドの音、人々の声、Sakamotoの奏でる音。。。
あー、どれもこれも心が洗われました、ありがとう!!
2009年3月18日水曜日
名古屋でのワークショップ
「くらしと制度をつなぐ会」の冊子編集の手伝いをしたあとに入っていた予定は、名古屋出張。
同僚のKさんにまえから誘われておりました。
フィールドワークについてのシンポをやるから、Fieldnetをひろめるのにいいんじゃない?と。
日本福祉大学が「アジア福祉社会開発研究センター」を開設するにあたってシンポジウムとワークショップをひらきました。ワークショップの企画はKさんがご友人とたてた模様。「フィールドワークから人々とつながる:現場から生まれるアクションとファシリテーション」
もちろん場所がら、開発と福祉にかんする研究が主。
主催者(協力者)の意図:
対象の社会や人びとの「変化を支える」目的で行われる福祉や開発の実践と、「理解する」ことをねらいとする研究は、それぞれ異なった視点と方法で現場に関わろうとする。しかし、それらは互いに異質なこととも言えず、多くの共通点が見られるだろうし、現場でのさまざまなアクションやリアクションを通じて、実践と研究に二分できない活動や立場が生まれることもある。 このワークショップでは「フィールドワーク」を共通の切り口としながら、「実践/研究」「調査する側/される側」の二分法をこえた現場での関わり方を、具体的な事例にもとづいて考える。福祉や開発の専門性から「あえて降りてみる」ことで現場から見えてくることを重視しながら、ふたたび専門領域にフィードバックできることは何かについても議論したい。
対象の社会や人びとの「変化を支える」目的で行われる福祉や開発の実践と、「理解する」ことをねらいとする研究は、それぞれ異なった視点と方法で現場に関わろうとする。しかし、それらは互いに異質なこととも言えず、多くの共通点が見られるだろうし、現場でのさまざまなアクションやリアクションを通じて、実践と研究に二分できない活動や立場が生まれることもある。 このワークショップでは「フィールドワーク」を共通の切り口としながら、「実践/研究」「調査する側/される側」の二分法をこえた現場での関わり方を、具体的な事例にもとづいて考える。福祉や開発の専門性から「あえて降りてみる」ことで現場から見えてくることを重視しながら、ふたたび専門領域にフィードバックできることは何かについても議論したい。
私自身の研究環境、関心からすると、やはりアフリカの事例がいちばん想像しやすかった。
発表者によっては、研究者なのかアクティヴィストなのか、そう悩まなくとも両方でありえるのならばそれでいいのでは、と思ったりも。というか、そういう人材こそが必要なのである。そういう意味でも、自分がフィールドで、そのはざまで「悩んでいるのだ」と告白すること、そういう場であったこのシンポは、とても有意義なんだと思う。悩みのレベルや質も、フィールドのもつ性質によっても個人の性格によっても、もちろん違うわけだが、その多様な「悩み」こそが個人のフィールドワークという行為が社会、世界とむすびつく事例であり、よりよくその悩みが生かされるように事例を共有することが必要かなと。いやでも開発に関わらざるをないご時勢のいま、研究者それぞれの事例がまた、重要な「先行研究」もしくは「先行経験/事例」だろう。
まあ、個々のご発表については、それぞれ質問も疑問もあったけれど、シンポの企画は成功していたと思う。ただ、最後までいられなかったのが残念。どういう議論になったのか。。
おつかれさま!
2009年3月17日火曜日
つられまして。
母のたちあげたグループ「くらしと制度をつなぐ会」が、昨年に政治ジャーナリストをむかえて行なった講演会と、日本・世界における女性政策のうごきとグループのあゆみの年表をまとめ、冊子をつくろうとしています。ほとんどできているのだけれど、細かいところをチェックする役割が私。。。このあいだ、自分のが終わったばかりなんですが。それをまっていたかのように、美味しいものを食べる約束で?つられて、のこのこきて、こんなすてきなお料理をいただくまえに作業しました。ときどき、国民投票についての本をちらちらみながら。
しかし、母が地域でグループを立ち上げたとき、私はまだ小学生だった・・・こういうとき、時間がたつのは早いっと思う。グループの人たちも、私の変化もみまもってくださっている、ということでしょう。
お役にたつなら、お手伝いいたします^^;
それにしても、ずいぶん続いているものです。まじめなおばちゃんたち。
読者の方への政治への理解のチャート図をつくったのも私だぞー。
まあ、間接的ながらの私の「運動」への貢献。。
母も、「運動」のやりかたを、模索しつつ変えているらしい。しばらくお互い忙しくてあまりちゃんと話していなかったけれど、この作業をする理由で会って話していたら、なんとべ平連のときになにか運動をしていた人、ということで取材をうけたとか。母のお誕生日の前の日にオンエア決定!本人は照れくさそう。
しかし、母が地域でグループを立ち上げたとき、私はまだ小学生だった・・・こういうとき、時間がたつのは早いっと思う。グループの人たちも、私の変化もみまもってくださっている、ということでしょう。
お役にたつなら、お手伝いいたします^^;
それにしても、ずいぶん続いているものです。まじめなおばちゃんたち。
読者の方への政治への理解のチャート図をつくったのも私だぞー。
まあ、間接的ながらの私の「運動」への貢献。。
母も、「運動」のやりかたを、模索しつつ変えているらしい。しばらくお互い忙しくてあまりちゃんと話していなかったけれど、この作業をする理由で会って話していたら、なんとべ平連のときになにか運動をしていた人、ということで取材をうけたとか。母のお誕生日の前の日にオンエア決定!本人は照れくさそう。
2009年3月16日月曜日
3月14日は・・・(3)
3月14日は・・・(2)
卒業した小学校が、あと2週間たらずでなくなります。
小学校は、こんど駅前にある日本映画学校(今村昌平創立)が大学としてお引越ししてくるとか。校庭は撮影のセットにでもなるのかしら・・・
いずれにしても、まったくなくならないにしても、小学校はなくなるのでちょっとさみしい感じです。なんと25年ぶりの同窓会が開かれました。私は豚の丸焼きパーティからはしごして参加。
ほーんとに笑えるけれど、小学校のこの「素質」そのまま、職業などにあらわれている・・・・容姿も、まったくもって変化なし。しかし、女子で仕事をもっている人が、私ともう一人だけだったことには、びっくり。
これが日本の現状なの??
中身は変化してることを祈る・・・・
小学校は、こんど駅前にある日本映画学校(今村昌平創立)が大学としてお引越ししてくるとか。校庭は撮影のセットにでもなるのかしら・・・
いずれにしても、まったくなくならないにしても、小学校はなくなるのでちょっとさみしい感じです。なんと25年ぶりの同窓会が開かれました。私は豚の丸焼きパーティからはしごして参加。
ほーんとに笑えるけれど、小学校のこの「素質」そのまま、職業などにあらわれている・・・・容姿も、まったくもって変化なし。しかし、女子で仕事をもっている人が、私ともう一人だけだったことには、びっくり。
これが日本の現状なの??
中身は変化してることを祈る・・・・
3月14日は・・・(1)
2009年3月11日水曜日
ふつうのじゃないぞ
敬愛する同僚から、ふつうのでない、温泉まんじゅうをいただいた。週末におでかけだったらしい。
かわいいお子さんらのはしゃぎようが、写真のひとコマからみえて、おまんじゅうをいただくときもうれしかった。もちろん、この温泉まんじゅう、ふつうの餡子だけのとはちがう。ごろっと栗がはいってる。ありがとーっておもわず。ただ買うのとちがって、あの人にいただいた、買ったときの風景なんかも子どもたちの様子も浮かんで、美味しさ倍増。母は二ついっぺんに食べちゃいました。かなりめずらしいこと。
同僚さんはこのごろブログの投稿を活発だし、すっごくいろんなことにエキサイトしてて、すごいパワー!
新学期にむけ、すでに怖気づいてる私は、ちょっとパワーをほしいくらい。
2009年3月10日火曜日
Hokkaido ホッキー君と二風谷
足をのばした北海道ステイの最後。
会合もおわって、翌日は日曜だったので有意義にすごしました。後輩のKくんの運転で、Sくんも途中までいっしょに苫小牧~二風谷へ。
Kくんがレンタカーの手配をしてくれて、朝は急いで出発。
急いで、というのも連日の「疲れ」から前の晩が午前3時の帰還だったので、朝はきつかったから。
あいかわらずハスキーな声で出発。
苫小牧は、けっこう・・・名前で有名なわりにひっそりした町だった。でもでも、ちゃんと観光案内があった!やさしいおねえさんが親切に教えてくれる。ホッキが有名であることを知った。Sくんの飛行機の時間もあるので、それまでにお腹になにか入れなくちゃ!ということでまず市場に行ってみた。ほっきー君がむかえてくれる、なんだろう、ミュージアム?!といえるのか何だかわからないホッキ貝を紹介する空間があった(ちょっと痛い)。そこに隣接した食堂。大きなカニ、エイ、蛸、いやあ、すごい。ホッキ貝がこんなに大きなものとも知らなかった。
そのまま焼いてくれるところをみつけて、3人で堪能。スープがうまい。
そんなこんなで、めざしていたちっちゃな湖にはたどり着けず、S君を空港までお送りして、いざ二風谷へ。
途中の風景は、馬の牧場もあってたいへん気に入った。馬がのびのびかけまわっている。ああ、日本にもこういう光景があるのだ。子馬もちらほらみかけた。
めざしていた資料館は残念ながらしまっていたが、野外展示のアイヌの家をみる。雪深く、萱などでつくった壁の「寒さ」が想像される。
そして、最近できた二風谷ミュージアムへ。
これは、なんとも新しい感覚の展示で、建物も、展示の仕方も、リーフレット等もすてきだった。ビデオもあって、好きなものが見られる。それを見るとなおさら、展示物が生きてみえる。初めての者にもアイヌについて概要がわかるように、工夫はされていたと思う・・・ただ人類学者としては、「いま」「アイヌの人たちが」実際のコミュニティをどう生きているのか、を知るすべがちょっとでもほしいなあと思うのだった。
ミュージアムが二風谷ダムの湖畔にある。凍った水の上に、またうっすらと雪が。
よくみると動物の足跡がある。
誰もいない。
夕方にちかい、静かな幻想的な1シーンだった。
近くのアイヌ工芸展により、作者と話す。
昔の部落の写真があり、いまはどのあたりかを大体聞いて、帰りはそのあたりを通る。
なんとなく名残がわかるもの。
いま、人びとは何を生業としているのか・・・?
静かな二風谷への旅だった。
会合もおわって、翌日は日曜だったので有意義にすごしました。後輩のKくんの運転で、Sくんも途中までいっしょに苫小牧~二風谷へ。
Kくんがレンタカーの手配をしてくれて、朝は急いで出発。
急いで、というのも連日の「疲れ」から前の晩が午前3時の帰還だったので、朝はきつかったから。
あいかわらずハスキーな声で出発。
苫小牧は、けっこう・・・名前で有名なわりにひっそりした町だった。でもでも、ちゃんと観光案内があった!やさしいおねえさんが親切に教えてくれる。ホッキが有名であることを知った。Sくんの飛行機の時間もあるので、それまでにお腹になにか入れなくちゃ!ということでまず市場に行ってみた。ほっきー君がむかえてくれる、なんだろう、ミュージアム?!といえるのか何だかわからないホッキ貝を紹介する空間があった(ちょっと痛い)。そこに隣接した食堂。大きなカニ、エイ、蛸、いやあ、すごい。ホッキ貝がこんなに大きなものとも知らなかった。
そのまま焼いてくれるところをみつけて、3人で堪能。スープがうまい。
そんなこんなで、めざしていたちっちゃな湖にはたどり着けず、S君を空港までお送りして、いざ二風谷へ。
途中の風景は、馬の牧場もあってたいへん気に入った。馬がのびのびかけまわっている。ああ、日本にもこういう光景があるのだ。子馬もちらほらみかけた。
めざしていた資料館は残念ながらしまっていたが、野外展示のアイヌの家をみる。雪深く、萱などでつくった壁の「寒さ」が想像される。
そして、最近できた二風谷ミュージアムへ。
これは、なんとも新しい感覚の展示で、建物も、展示の仕方も、リーフレット等もすてきだった。ビデオもあって、好きなものが見られる。それを見るとなおさら、展示物が生きてみえる。初めての者にもアイヌについて概要がわかるように、工夫はされていたと思う・・・ただ人類学者としては、「いま」「アイヌの人たちが」実際のコミュニティをどう生きているのか、を知るすべがちょっとでもほしいなあと思うのだった。
ミュージアムが二風谷ダムの湖畔にある。凍った水の上に、またうっすらと雪が。
よくみると動物の足跡がある。
誰もいない。
夕方にちかい、静かな幻想的な1シーンだった。
近くのアイヌ工芸展により、作者と話す。
昔の部落の写真があり、いまはどのあたりかを大体聞いて、帰りはそのあたりを通る。
なんとなく名残がわかるもの。
いま、人びとは何を生業としているのか・・・?
静かな二風谷への旅だった。
Hokkaido 会合もオフ会も
会合の合間には低温研ツアー。
またまた、低温室にもはいりました。-50度。
私は、極地研でなれていたので、思ったほどタイヘン!とは思わなかったけど。夏に入ると、ちがうのかも。
会合に研究会にこなして、またまた発表者やセンタ長もむかえて酒宴。こんどは北海道の海の幸。 いいお店をセレクトしてくれた北大のMさんに感謝。
宴は、またまた二次会までつづき、午前2時から、来年度のFieldnetは・・・目標は・・・と話題になって、ようしゃべったし、考えました。東京では味わえないおいしい食事と、内容つまった飲み会でした。ホテルに帰ったのは3時。
帰るころは歩道もつるつるに凍ってる。さっすが札幌。
またまた、低温室にもはいりました。-50度。
私は、極地研でなれていたので、思ったほどタイヘン!とは思わなかったけど。夏に入ると、ちがうのかも。
会合に研究会にこなして、またまた発表者やセンタ長もむかえて酒宴。こんどは北海道の海の幸。 いいお店をセレクトしてくれた北大のMさんに感謝。
宴は、またまた二次会までつづき、午前2時から、来年度のFieldnetは・・・目標は・・・と話題になって、ようしゃべったし、考えました。東京では味わえないおいしい食事と、内容つまった飲み会でした。ホテルに帰ったのは3時。
帰るころは歩道もつるつるに凍ってる。さっすが札幌。
会合のことは、また別のブログで報告しなくては・・・・・・・・・・・
Hokkaido 本番二日目
充実した週末in Hokkaido 1
まず、はじまりはビール園から。はじめから会話ははずむ!これまた、うまいなあ。ジンギスカン。ぜんぜんくせがなくって、やわらくておいしい!まわりも楽しそうに食べてます。声をはりあげないと、あっち側と話すのもたいへん。話したりず、こんどは北大正門前のちっちゃい飲み屋へくりだす。
会合の前日から、スイッチはいりました~
2009年3月6日金曜日
かわいいお客
今日はJ-Waveの特別企画でSakamotoのDJのラジオを聞きつつ出勤、そのあとは2時から9時まで会議~打ち合わせ三昧の日だった。
それでも、心が癒されたのはSakamotoのトークと職場にきたかわいいお客さん。
Taro(これってそうですよね)さんは、そのお客さんの忘れ物。
会議に行く前、かわいい声がするのでご挨拶。そのあと、階が違うところで会議をしていたのに部屋の外で「きゃははは~」と楽しげな声がもれてくる。同席していた先輩同僚は「うちでもああいう声がいつもしてるの」だって。そうそう、同僚も同じ歳くらいの男の子がいるんだった。会議が終わって6時半ごろ解散、先に帰ったはずの同僚がふたたび戻ってきました。
「道」にTaroさんが落ちていたと。まちがいなく、あのかわいい声の持ち主のものだろうと推測。しばらく、私の部屋にお泊りさせてくださいね。
明日からは北大出張だ~。
それでも、心が癒されたのはSakamotoのトークと職場にきたかわいいお客さん。
Taro(これってそうですよね)さんは、そのお客さんの忘れ物。
会議に行く前、かわいい声がするのでご挨拶。そのあと、階が違うところで会議をしていたのに部屋の外で「きゃははは~」と楽しげな声がもれてくる。同席していた先輩同僚は「うちでもああいう声がいつもしてるの」だって。そうそう、同僚も同じ歳くらいの男の子がいるんだった。会議が終わって6時半ごろ解散、先に帰ったはずの同僚がふたたび戻ってきました。
「道」にTaroさんが落ちていたと。まちがいなく、あのかわいい声の持ち主のものだろうと推測。しばらく、私の部屋にお泊りさせてくださいね。
明日からは北大出張だ~。
2009年3月4日水曜日
索引がきた
2009年3月1日日曜日
最終講義
ハク論の副査をしてくれた先生が、大学をさることになった。
また、めでたいことに次の大学へ。
最終講義は、いままでの先生のご発言「これは○○年に私がすでに指摘したことだ・・」を証明する、学部時代からの「研究」に関するものだった。
たしかに、目のつけどころははやくて、いまの「はやり」が先生にとっては色あせてみえるというのは納得できた。
いやあ、ほんとにいまの学生とレベルが違う。
おそれいりました・・・
いまの人類学の研究は、10年先も読まれるか?という問いも、まさにあたっている。
あらためて、ピピっと発破かけられたかんじだ。
それが、この先生のすばらしいところ。
そう、私たちの世代はたしかに、先生たちの世代より遅咲きが多いのかもしれない。いまの学生たちは、ますますそう。寿命が長くなるにつれ?そうなってるのかしら?大学院マスターくらいで、先生の頃の学部生レベルでしょう。いまの大学生は、かつての高校レベル。ぽやーんと「生きる」ことに苦労なく18くらいまでくると、そうなるのもうなずける。食べるのが大変だと、そう甘やかされてはそだたない。でも先生たちの時代は、いい意味で学問ができた時代でもあった。大学は聖域のようなところでもあったが、いまや世間での位置づけも、変わってきている。そして、社会への関わり方も、もっと考えねばならないのでは?
就職難の私たちの世代は、なおさら前をみないといけない。社会との接点。アカデミズムだけで、これは新しい、古いといっていてもそれこそ意味がないような気がして、社会への発信、アカデミズムへの発信のやりかた、について人類学者は考えるべきだとあらためて。ただ同時になんだか危機感を覚えるのは、私たちの世代、その下の世代、もそれをまじめに考えてるんだろうか?ってことで、上の偉大な人たちがつくったレールのうえだけを歩くなよ、とも。。。。
なーんだか、いまいち生産的な気持ちになれなかったのは、たぶんお説教をくらったということと(笑)、懐かしい顔にたくさんあったからかな?うれしいのだけれど、でも同時に妙な気分になる。私のいまの精神状況が、回顧/懐古でないからだ、とも思った。
さあーて、新しいことをやろうっと。
2009年2月28日土曜日
東京も雪
びっくりした。
白いものがちらちらしだして。
2月末になるというころ、やっと雪がふった。
3年くらい日本にいるルオ人が、これで二度目だと言っていたけれど、そうなんでしょうか。まあ、そんなにふっていないということだけれど。
ドイツ人のお友だちがお土産にくれたおーきな
カップ&ソーサーでポトフをつくっていただく。となりにおいてあるマグカップも、ふつうより大きいサイズなのでその大きさが分かるかな・・
おどろくほど冷めない。やはり、寒いヨーロッパ人がつくるものには意味が。さむーい時期にオランダに行ったときも、くたくたに煮こんだお野菜、マメ、そしてソーセージがたっぷりのスープがほんとに美味しかった。冬の一品にふさわしいスープ。
2009年2月27日金曜日
おネギさまさま
2009年2月26日木曜日
本日の一品
今日は知り合いにヴィタメールのフィナンシェをもらったので、ごきげんなデザートでした。ダイエットと言う文字が、最近は遠くなっているぞ・・・
筋トレは地道にしてますが・・
いやいや、お酒はなくても生きていけますが、スイーツはないとストレスがたまってダメです。昨日、電話をかけてきた友人も、結局のところ、私はつまらん、ローテンションだといいつつ、最後は美味いものを食べた、と機嫌がよくなるんだとメールの文面から分析されました。
そう、ストレスの発現はこわいのだ。
今日は気になる口内炎の話題だというので、ためしてガッテンを予約録画してみた。
うーん、結局、口内炎もストレス、疲れでできるんだーということがわかった。それを出ないようにする方法はわからん!(それが知りたかったのに・・)けれど、それをはやく治すには、お口のなかを、キレイにうがいして殺菌すること。でも、市販の「殺菌」液なんかを使ったばあいは、細胞をこわさないようにふつうにお水でゆすいでおくこと。はーい、わかりました。いまも口内炎ができてるので、心しなければ。右見ても左見ても、私はストレスが原因?と思われる症状があるのでいやになりますわ。
お友だちに誘われたヨガにもいけてないし。
そういえば、昨日の白鷺さんの写真をみて、ある友人は
「コサギでしょうね。繁殖期の飾り羽が生えてきているか・・・?」
というコメントをくれた。生物学をした人だと、分かるのかしら。
職場も、もう少し緑が固まってあると、鳥ももっときてくれるのに!と思います。ちょっと心にフレッシュな風がふくと、気分がよいから。
2009年2月24日火曜日
しらさぎさんが
2009年2月23日月曜日
少しでも、ケニア気分
ひさしぶりに、つくばにいるLuo人のお友だちからメールが。
私があまりにご無沙汰しているので、ちょっと怒ったようなメールでもあった。
たしかにたしかに、去年はほんとに忙しくて会えなかった。しかもちょっとつくばは
遠いなあと思っていたから。
ごめんごめん、忙しくて連絡できずに。
去年は8,9月にケニア、12月にもちらっとナイロビに行ったよー。
オバマが大統領になって、あなたのまわりも、Kisumuの人たちも大喜びでしょうね。
よく東京にくるのかな?
今日はお休みだけど、論文書きしてます・・・
とメールしたら、大喜びでメールが帰ってきた。
つくばに来てよ!呼んでくれたら、東京にも行くよ。
僕の携帯は_******
電話すべし!
今日はお腹がすいたとき、帰るまえにメールをしたら
何かお腹にいれて!僕はお茶飲んだからちょっとマシ。
お茶って、たぶんチャイなんだろうな・・・
ごはんは、やっぱりウガリなんだろうか・・・
そういえば、インド産のウガリの粉(要はトウモロコシ粉)はよくない、
イタリア産はよい、と前に会ったときに言っていた。
どうもネットで購入している模様だった。
つくばは、遠いのが難点。
さらっとランチでもできたらいいのにねえ。
去年も2度もナイロビに行ってる人が何言ってるの、
つくばは遠くないぞ。東京にも行くよ。
たしかにいうとおりだ。
しかも、ルオ人ですからね。
周りはどんどんフィールドに出かけちゃうし、ようはその残りのしごとを
する羽目にもなるわけで、あー、なんだか面白くないのだ。
みていると、私立も国立大学の先生もけっこう外にでてますね。
入試の担当でなければ、かなりフリーということでしょうか。
国外から原稿なんか送ってきちゃって、ああ、私もそんなことがしたい。
ナイロビが恋しいよう。
ルオ人とデートしたら、ちょっとはその気分が味わえるかしら。
とりあえず、いまは再来週の東京脱出、北大行きを楽しみに・・・
ま、仕事だけど・・・
私があまりにご無沙汰しているので、ちょっと怒ったようなメールでもあった。
たしかにたしかに、去年はほんとに忙しくて会えなかった。しかもちょっとつくばは
遠いなあと思っていたから。
ごめんごめん、忙しくて連絡できずに。
去年は8,9月にケニア、12月にもちらっとナイロビに行ったよー。
オバマが大統領になって、あなたのまわりも、Kisumuの人たちも大喜びでしょうね。
よく東京にくるのかな?
今日はお休みだけど、論文書きしてます・・・
とメールしたら、大喜びでメールが帰ってきた。
つくばに来てよ!呼んでくれたら、東京にも行くよ。
僕の携帯は_******
電話すべし!
今日はお腹がすいたとき、帰るまえにメールをしたら
何かお腹にいれて!僕はお茶飲んだからちょっとマシ。
お茶って、たぶんチャイなんだろうな・・・
ごはんは、やっぱりウガリなんだろうか・・・
そういえば、インド産のウガリの粉(要はトウモロコシ粉)はよくない、
イタリア産はよい、と前に会ったときに言っていた。
どうもネットで購入している模様だった。
つくばは、遠いのが難点。
さらっとランチでもできたらいいのにねえ。
去年も2度もナイロビに行ってる人が何言ってるの、
つくばは遠くないぞ。東京にも行くよ。
たしかにいうとおりだ。
しかも、ルオ人ですからね。
周りはどんどんフィールドに出かけちゃうし、ようはその残りのしごとを
する羽目にもなるわけで、あー、なんだか面白くないのだ。
みていると、私立も国立大学の先生もけっこう外にでてますね。
入試の担当でなければ、かなりフリーということでしょうか。
国外から原稿なんか送ってきちゃって、ああ、私もそんなことがしたい。
ナイロビが恋しいよう。
ルオ人とデートしたら、ちょっとはその気分が味わえるかしら。
とりあえず、いまは再来週の東京脱出、北大行きを楽しみに・・・
ま、仕事だけど・・・
2009年2月22日日曜日
お仕事仲間と
昨年春からはじめて、ようやく形になりはじめたプロジェクト、Fieldnetの広報用のポスター、チラシ、リーフレットなどのデザインの相談をしに、先週末、いつもおせわになっている事務所ONにいきました。
広報誌の打ち合わせもそうですが、デザイン系の人とお話をするのは、気持ちがいい。人をあっと言わせようと、たわいもない日常の会話、景色、モノといったすべてのなかから、「何か」をひきだして可視化しようとする試み。こういったクリエイティブな仕事は、苦しいけれど、生み出したときの喜び。なんといっても、つくった本人がうれしいだけでなく、それをみた人に何かを与えられる可能性をもっている、というのがすばらしい。
デザイナーの仕事からすると、また私の仕事というのは未知的でおもしろいらしい。おたがい面白そう、でも自分の専門とはちがって。という共通項があるからまた、ときどき会って話すと楽しいのかも。 ま、私がデザインの仕事への憧れがあるから、なおさらでしょう。
くわえて、一緒にモノをつくれるんだから。 これまた、たのしい。
「さいきんある仕事で、生活と仕事についてのコピー?を考えていたら、俺は仕事の延長に生活があるんだって、あらためて思った。lifeのなかにworkがあるんだよなあ。Wもそうでしょ」と。
そうですそうです。まあ、デザイナーは映画みても、あ!と思うことがあったり、テレビみてても、なにしていてもヒントは転がっている。でも、この感覚は、人類学者が自分の生活環境もフィールドである、という姿勢をとるのと同じ。実際、さいきんの私は、悲しいかなぽけーっと仕事を忘れているってことがない。
ある先輩も、研究に関係ない本がなかなか読めない、ついつい貧乏性で「関係あるもの」にしたくなると言っていた。
でもONのNさんがいうには、最近デザインの仕事は、人に「あ!」と思ってもらったら、一月もしたら忘れられる、一過性のものだということ。それが、ときどきむなしいそうだ。消えゆくものばっかりつくってるなあ、と。世に残るデザインなんて、ほんとに一握り。
私:人に「あ!」と思わせる、「ふふ!」と思わす、「何か」を人にもたらすことができる仕事なんて、すてきじゃないですか。たとえば人類学者は、自分の作品、とってきたデータを世の中の人に表現する方法、アウトプットの仕方を知らないんですよね。もっとNさんみたいなデザイナー、編集、といった人に助けてもらわないと。
そーんな話を、打ち合わせが終わったあと、場所を変えて三宿の蕎麦屋で。
これが、またうまかった。最近ない、ヒット。私はフィールドに行くまえと帰ってから、天ぷら蕎麦を食べるんだと行ったら、おススメのところにつれてってくれました。
またおどろいたことに、相席の斜め前に座っていたオシャレが女性が、席を立つときに「文化人類学の先生ですよね!私、A大学の4年です、先生の授業とってました、大好きでした!」といきなりいうのでおどろいた。私の話し方をきいて、これは授業で聞いた話し方だと確信したらしい。
いやいや、びっくり。会話には気をつけよう。
この蕎麦屋は気に入ったので、また行きたい。
余韻が残って翌日も幸せだったので、これは重要。
うまいものを食べると、心が充足するので、大事なことです。
広報誌の打ち合わせもそうですが、デザイン系の人とお話をするのは、気持ちがいい。人をあっと言わせようと、たわいもない日常の会話、景色、モノといったすべてのなかから、「何か」をひきだして可視化しようとする試み。こういったクリエイティブな仕事は、苦しいけれど、生み出したときの喜び。なんといっても、つくった本人がうれしいだけでなく、それをみた人に何かを与えられる可能性をもっている、というのがすばらしい。
デザイナーの仕事からすると、また私の仕事というのは未知的でおもしろいらしい。おたがい面白そう、でも自分の専門とはちがって。という共通項があるからまた、ときどき会って話すと楽しいのかも。 ま、私がデザインの仕事への憧れがあるから、なおさらでしょう。
くわえて、一緒にモノをつくれるんだから。 これまた、たのしい。
「さいきんある仕事で、生活と仕事についてのコピー?を考えていたら、俺は仕事の延長に生活があるんだって、あらためて思った。lifeのなかにworkがあるんだよなあ。Wもそうでしょ」と。
そうですそうです。まあ、デザイナーは映画みても、あ!と思うことがあったり、テレビみてても、なにしていてもヒントは転がっている。でも、この感覚は、人類学者が自分の生活環境もフィールドである、という姿勢をとるのと同じ。実際、さいきんの私は、悲しいかなぽけーっと仕事を忘れているってことがない。
ある先輩も、研究に関係ない本がなかなか読めない、ついつい貧乏性で「関係あるもの」にしたくなると言っていた。
でもONのNさんがいうには、最近デザインの仕事は、人に「あ!」と思ってもらったら、一月もしたら忘れられる、一過性のものだということ。それが、ときどきむなしいそうだ。消えゆくものばっかりつくってるなあ、と。世に残るデザインなんて、ほんとに一握り。
私:人に「あ!」と思わせる、「ふふ!」と思わす、「何か」を人にもたらすことができる仕事なんて、すてきじゃないですか。たとえば人類学者は、自分の作品、とってきたデータを世の中の人に表現する方法、アウトプットの仕方を知らないんですよね。もっとNさんみたいなデザイナー、編集、といった人に助けてもらわないと。
そーんな話を、打ち合わせが終わったあと、場所を変えて三宿の蕎麦屋で。
これが、またうまかった。最近ない、ヒット。私はフィールドに行くまえと帰ってから、天ぷら蕎麦を食べるんだと行ったら、おススメのところにつれてってくれました。
またおどろいたことに、相席の斜め前に座っていたオシャレが女性が、席を立つときに「文化人類学の先生ですよね!私、A大学の4年です、先生の授業とってました、大好きでした!」といきなりいうのでおどろいた。私の話し方をきいて、これは授業で聞いた話し方だと確信したらしい。
いやいや、びっくり。会話には気をつけよう。
この蕎麦屋は気に入ったので、また行きたい。
余韻が残って翌日も幸せだったので、これは重要。
うまいものを食べると、心が充足するので、大事なことです。
2009年2月18日水曜日
クリニックとtenteki10
● このところ忙しさを理由に、皮膚科に行っていなかった。
2月に入って、授業もないし重荷は減っているはずなのに
テンションがひくくいけません。
ここ3-4年悩んでいる湿疹が、クスリ切れでますます悪化。それが気になって、ストレスになってまた悪化するんでしょう。
いつもお医者さんには、ストレスをためないように、お仕事たいへんでしょうけど・・・・といわれる。アフリカに行けばなおることが多いので、やっぱりかなりの割合で関連はしているのは間違いない。
●
研究のことでも気の合うお友だちが、点滴バーを試してみよう!と前から誘ってくれていた。思い切って、行こう!と決意。(決意というほどではないけれど・・)まず、またお友だちのダンナさんが働いているお店でごはんをして、お話して、そしてTENTEKI10にいく。まだ開業して1年たっていないので、フロアの雰囲気もホテルチックで上品。
●
「院長」さんの問診をふたりで受けた。
一緒にいったお友だちKさんは、プラセンタ療法に関心がある、と前から。
二人で、質問をつづけさまにする。院長さんは、なにやらプリントをだして説明を始める(うるさそうに思ったのかもね)。
●
ヒトの赤ちゃんの胎盤・・・いわゆる後産を了承をえてもらって、そこから細胞増殖因子、サイトカインなどを抽出して、注射できるようにしているそうな。
もともと、肝疾患の治療、アトピーの治療には使われてきたそうだけれど、最近のアンチエイジングなど美容の路線で注目されてきたと。
もちろんのこと、一度すればいい!というわけでなく、韓国では毎週注射してアトピーが治っただの、お肌の小じわがなくなっただの、、効果があったと報告されているという。
気になったのは、まだ将来的に「何が」おきるか保障はできないということで、厚労省がこの注射を一度でもした人には献血を禁止するようになったということ。
●
たしかに、血液からの感染で苦しむ人たちがいることを思うと、当時は「ある病気」については検査するシステムになっていなかったから等あとづけで説明がされる。
誰かさんのプラセンタなのだから、いろんな気持ちにはなることもたしか。
輸血、臓器移植、ともつながる感覚だろうか。
私自身も、まず献血がダメといわれた時点で、少々の抵抗を感じる(マラリアをやってる人は、献血するのはあまりよくないでしょうねえ、といわれたのでやったことないのだが)。
これがまた、サブスタンスについてどう考えるか、ということにもなる。
お友だちのKさんが気になるのも、たとえばインドでカーストが違う人たちでは結婚もダメ、輸血もダメ、
治療とはいえこのプラセンタも同じ説明がされるだろうか???というこだ。
家族のつながり、親族のつながりをどう考えているか、どう説明するか、ということと、サブスタンスのかかわりが強い社会はたくさんある。
●
「血」がいちばんわかりやすい。
血の「つながり」についてのこだわり度は、これまでの親族論でも定番だったが、
生殖医療やこのプラセンタを利用した、また細胞の培養、利用という技術が
発達してくると、人間の生と性、家族、親族のつながり、についての考え方を
どう適応させていくかが面白い事例となってでてくるだろう。
Tenteki10に行ったあとは、今後の研究の路線について、ふたりで入ったPapas cafeでもりあがったのでした。なにかを始めるのは、また楽しい。
●
それにしても、もうけてるなあ。
ベーシックパック(総合ビタミン、とくにBやC)2000円+お好みパック、をオプションで。
こういうしくみ。たとえばプラセンタパックは3000円なので、安くはない。週1なんて私の財布には、、とんでもないな。。。でもお肌の調子がほんとによくなるなら・・・
いやあ。様子見。
2009年2月14日土曜日
2009年2月13日金曜日
Sakamoto
今日は朝から楽しみに録画セットをしていた。
Journal Sakamotoのメルマガでお知らせがあって驚いたけれど、SakamotoがNHKの朝のおはようホットモーニングにでるという。このところ、すっかり夜型の私は、なんとか起きてテレビにむかう。
なつかしい映像が編集されて出てくるたびに、Sakamotoさんはてれくさそう。
まともになったのは50になってから、と自分で。
ドビッシーに傾倒していた時期、学生運動に感化され新宿高校で「授業はいらない!」と演説していた時期。メイクボックスを持ち歩いていた20-30代。どれも魅力的。
聞き手のアナウンサー二人が少々うざかったが、Sakamotoさんのほうがサービスして笑わせていたような。素直にはにかむSakamotoは、たしかに、ますますまるくなった。
あらためて衝撃的だったのは、『ラストエンペラー』でアカデミー賞をとったのが36歳だった、ということ。おお!いまの私と同い年ではないか。
うなった・・
私にとってSakamotoはあまりに大きすぎて――戦メリの作曲・出演の時代から、ラストエンペラーのときはもっと彼が「大人」になってから、だと思っていたのに、俳優もやりつつ、あれだけの大作をつくったのが36歳か。。。
自分と比べるだなんて、とんでもないけれど、同じ時間を生きていても、なせることがここまで違うのかとほんとうにうなった。
アカデミー賞受賞の様子 http://www.youtube.com/watch?v=RqezmSos_b0
人生短いから、もう少し、なにか仕事をしないと。。。
まずは、3月4日発売のCDが楽しみ。
そして、日本のツアーも。
戦メリ演奏
http://www.youtube.com/watch?v=zabOPYJq3SI
水の中のバカデル演奏
http://www.youtube.com/watch?v=nSqcVghoVJ8
Journal Sakamotoのメルマガでお知らせがあって驚いたけれど、SakamotoがNHKの朝のおはようホットモーニングにでるという。このところ、すっかり夜型の私は、なんとか起きてテレビにむかう。
なつかしい映像が編集されて出てくるたびに、Sakamotoさんはてれくさそう。
まともになったのは50になってから、と自分で。
ドビッシーに傾倒していた時期、学生運動に感化され新宿高校で「授業はいらない!」と演説していた時期。メイクボックスを持ち歩いていた20-30代。どれも魅力的。
聞き手のアナウンサー二人が少々うざかったが、Sakamotoさんのほうがサービスして笑わせていたような。素直にはにかむSakamotoは、たしかに、ますますまるくなった。
あらためて衝撃的だったのは、『ラストエンペラー』でアカデミー賞をとったのが36歳だった、ということ。おお!いまの私と同い年ではないか。
うなった・・
私にとってSakamotoはあまりに大きすぎて――戦メリの作曲・出演の時代から、ラストエンペラーのときはもっと彼が「大人」になってから、だと思っていたのに、俳優もやりつつ、あれだけの大作をつくったのが36歳か。。。
自分と比べるだなんて、とんでもないけれど、同じ時間を生きていても、なせることがここまで違うのかとほんとうにうなった。
アカデミー賞受賞の様子 http://www.youtube.com/watch?v=RqezmSos_b0
人生短いから、もう少し、なにか仕事をしないと。。。
まずは、3月4日発売のCDが楽しみ。
そして、日本のツアーも。
戦メリ演奏
http://www.youtube.com/watch?v=zabOPYJq3SI
水の中のバカデル演奏
http://www.youtube.com/watch?v=nSqcVghoVJ8
2009年2月11日水曜日
つづくゲスト
2月にはいって、ゲストが職場にきてくれてます。
先週はメディアアートの友人のNさんが。人類学、歴史学とのコラボができそうなソフトウエアを開発中。
地図上にさまざまなフィールドデータ(写真、画像、音声)を時代にそって入力し、それを3Dでみせていくようなもの。地図は航空写真でも、国土地理院のものでもよく、時代がレイアーになって、さまざまなデータをその上に活かしてみせることができる!なにか、おもしろいことができたら!と自分のフィールドのこと、またAA研のみなさんのフィールドデータによる可能性を今後さぐっていきたいです。
職場の研究者数人にも披露してみました。
職場の研究者数人にも披露してみました。
まずは、私が友人と来年度から、まずは新たなプロジェクトを始めることにしました!
松の葉があしらわれていて素敵。味も上品な、私の好物。
しかも、なんともなしにアフリカの話ができるのがうれしい。
昨日は、ケニア仲間のMくんもきてくれました。
ふたりとも、若手のホープ。
うちの職場は、アフリカの話をふつうにできる環境が
もっとあっていいはずなのに。
*****
これは↓札幌の姉がちらっとひさびさにやってきて、お土産を。ぴゅっときて、ぴゅっと帰っていきました。これも私の好物、「ゆきむしスフレ」
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