サバンナで気ままに生きるシマウマのように

サバンナで気ままに生きるシマウマのように

2009年3月1日日曜日

最終講義


ハク論の副査をしてくれた先生が、大学をさることになった。
また、めでたいことに次の大学へ。
最終講義は、いままでの先生のご発言「これは○○年に私がすでに指摘したことだ・・」を証明する、学部時代からの「研究」に関するものだった。
たしかに、目のつけどころははやくて、いまの「はやり」が先生にとっては色あせてみえるというのは納得できた。
いやあ、ほんとにいまの学生とレベルが違う。
おそれいりました・・・
いまの人類学の研究は、10年先も読まれるか?という問いも、まさにあたっている。
あらためて、ピピっと発破かけられたかんじだ。
それが、この先生のすばらしいところ。
そう、私たちの世代はたしかに、先生たちの世代より遅咲きが多いのかもしれない。いまの学生たちは、ますますそう。寿命が長くなるにつれ?そうなってるのかしら?大学院マスターくらいで、先生の頃の学部生レベルでしょう。いまの大学生は、かつての高校レベル。ぽやーんと「生きる」ことに苦労なく18くらいまでくると、そうなるのもうなずける。食べるのが大変だと、そう甘やかされてはそだたない。でも先生たちの時代は、いい意味で学問ができた時代でもあった。大学は聖域のようなところでもあったが、いまや世間での位置づけも、変わってきている。そして、社会への関わり方も、もっと考えねばならないのでは?
就職難の私たちの世代は、なおさら前をみないといけない。社会との接点。アカデミズムだけで、これは新しい、古いといっていてもそれこそ意味がないような気がして、社会への発信、アカデミズムへの発信のやりかた、について人類学者は考えるべきだとあらためて。ただ同時になんだか危機感を覚えるのは、私たちの世代、その下の世代、もそれをまじめに考えてるんだろうか?ってことで、上の偉大な人たちがつくったレールのうえだけを歩くなよ、とも。。。。
なーんだか、いまいち生産的な気持ちになれなかったのは、たぶんお説教をくらったということと(笑)、懐かしい顔にたくさんあったからかな?うれしいのだけれど、でも同時に妙な気分になる。私のいまの精神状況が、回顧/懐古でないからだ、とも思った。
さあーて、新しいことをやろうっと。

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