サバンナで気ままに生きるシマウマのように

サバンナで気ままに生きるシマウマのように

2009年2月22日日曜日

お仕事仲間と

昨年春からはじめて、ようやく形になりはじめたプロジェクト、Fieldnetの広報用のポスター、チラシ、リーフレットなどのデザインの相談をしに、先週末、いつもおせわになっている事務所ONにいきました。
広報誌の打ち合わせもそうですが、デザイン系の人とお話をするのは、気持ちがいい。人をあっと言わせようと、たわいもない日常の会話、景色、モノといったすべてのなかから、「何か」をひきだして可視化しようとする試み。こういったクリエイティブな仕事は、苦しいけれど、生み出したときの喜び。なんといっても、つくった本人がうれしいだけでなく、それをみた人に何かを与えられる可能性をもっている、というのがすばらしい。
デザイナーの仕事からすると、また私の仕事というのは未知的でおもしろいらしい。おたがい面白そう、でも自分の専門とはちがって。という共通項があるからまた、ときどき会って話すと楽しいのかも。 ま、私がデザインの仕事への憧れがあるから、なおさらでしょう。
くわえて、一緒にモノをつくれるんだから。 これまた、たのしい。
「さいきんある仕事で、生活と仕事についてのコピー?を考えていたら、俺は仕事の延長に生活があるんだって、あらためて思った。lifeのなかにworkがあるんだよなあ。Wもそうでしょ」と。
そうですそうです。まあ、デザイナーは映画みても、あ!と思うことがあったり、テレビみてても、なにしていてもヒントは転がっている。でも、この感覚は、人類学者が自分の生活環境もフィールドである、という姿勢をとるのと同じ。実際、さいきんの私は、悲しいかなぽけーっと仕事を忘れているってことがない。
ある先輩も、研究に関係ない本がなかなか読めない、ついつい貧乏性で「関係あるもの」にしたくなると言っていた。
でもONのNさんがいうには、最近デザインの仕事は、人に「あ!」と思ってもらったら、一月もしたら忘れられる、一過性のものだということ。それが、ときどきむなしいそうだ。消えゆくものばっかりつくってるなあ、と。世に残るデザインなんて、ほんとに一握り。
私:人に「あ!」と思わせる、「ふふ!」と思わす、「何か」を人にもたらすことができる仕事なんて、すてきじゃないですか。たとえば人類学者は、自分の作品、とってきたデータを世の中の人に表現する方法、アウトプットの仕方を知らないんですよね。もっとNさんみたいなデザイナー、編集、といった人に助けてもらわないと。

そーんな話を、打ち合わせが終わったあと、場所を変えて三宿の蕎麦屋で。
これが、またうまかった。最近ない、ヒット。私はフィールドに行くまえと帰ってから、天ぷら蕎麦を食べるんだと行ったら、おススメのところにつれてってくれました。
またおどろいたことに、相席の斜め前に座っていたオシャレが女性が、席を立つときに「文化人類学の先生ですよね!私、A大学の4年です、先生の授業とってました、大好きでした!」といきなりいうのでおどろいた。私の話し方をきいて、これは授業で聞いた話し方だと確信したらしい。
いやいや、びっくり。会話には気をつけよう。

この蕎麦屋は気に入ったので、また行きたい。
余韻が残って翌日も幸せだったので、これは重要。
うまいものを食べると、心が充足するので、大事なことです。

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